見取図。
「穹窖砲座A」です。
入口は塞がっていて中の様子は覗えません。
引きでみるとこんな感じ。結構深く掘られて作られています。
続いて、「穹窖砲座B」です。
こちらも中が分かりません(-_-;)
引いて撮ると「穹窖砲座A」と同様に深く掘られています。
「穹窖砲座B」の近くに「地下壕」を見つけました(・∀・)
穴があったら入りたい、、、当然入ります(笑)
内部は、1回曲がってその先は崩落していました。
「穹窖砲座」に続く坑道だったのかもしれません。
以上で砲台周辺はおしまいですが、島の北端に大バエ灯台が立っています。
昭和33年初点の灯台ですが、現地説明版によると、「弾薬庫だった建物の内部に灯台機器を設置して建てた」と書かれています。
赤い部分です。
いやいや、こんな島の舳先の何もない所に弾薬庫はないでしょ、ってことで建物をよく見てみると、壁が二重構造になっていること、サイズ的にも(目算ですがw)、宗像の大島砲台で見た探照灯を格納する「掩燈所」に酷似していることが分かりました。
大島砲台の「掩燈所」。
路面のコンクリート舗装は探照灯の誘導路でしょうね。
最後に、この付近に設置された海軍の穹窖砲台についてです。
生月島には本土決戦に備えて14㎝砲が2門配備されました。『壱岐要塞兵備資料』を読むと、「指揮下に入るべき海軍砲十四加 六」とありますが、壱岐島の勝本、初山、そしてここ生月の各2門で合計6門となります。
海軍の14㎝砲穹窖砲台です。
正面から。左側の壁面に砲身を格納する凹みが見られます。
内部です。
奥の坑道はすぐ行き止まりでした。
ここからの景色。
右奥に見える島は、30㎝砲塔砲台のある的山大島です。
以上、生月砲台でした(・∀・)