『現代本邦築城史』を読むと黒崎砲台の観測所は4か所設置されていたようですが、砲台に一番近い場所にあるのが標高84mの山に設置された「黒崎観測所」でした。
場所はこちら。
現在観測所の場所は展望所となっています。
黒崎観測所は鋼製掩蓋を冠した地下鉄筋コンクリート造で、88式海岸射撃具を備えていました。
この射撃具ですが、潜水艦の潜望鏡のような形をした測遠機にて敵艦を観測し、距離・方向・航路・未来位置と言った射撃に必要なデータを、計器盤、算定具を経て電気的に決定し、電気信号にて砲側照準具に送る、と言うものでした。
昭和3年(1928年)以降各砲台に配備されていきましたが、『日本築城史』では射撃具を収納する観測所について、「1階ないし2階の地下鉄筋コンクリート造で、算定具室、観測具室、指令室・通信室などからなり、潜望鏡を出して敵艦を観測する」と書かれています。
ここの観測所は掩蓋はないものの良好な状態で保存されており、また上方からも見下ろすことができるので部屋の間取りがよく分かります。『日本築城史』に掲載の見取図を参考に、各部屋の用途を写真に記載してみました。
観測具室が前面で海側となります。
では、入口から入っていきます。
コンクリートの屋根下に階段があります。
入るとまずは通信室です。その奥が計算室、さらに奥が観測具室となります。
指令室から見ています。
算定具室に繋がる開口部上側がアーチになっています。
算定具室です。
床面に機器設置跡?ケーブル溝?が見られます。
観測具室です。
壁の上部を見るとリベット跡のようなブツブツがみられますが、これは蓋井島の観測所にもありました。鋼製掩蓋の接合部でしょうね。
この部屋の天井から、潜望鏡のような測遠機がニョキッと出ていたと思われます。図説してみました。
観測具室から入口方向を見ています。
何の部品でしょうか?
観測所前面の景色です。
観測所から南西方面に下りると塹壕がありました。
そして塹壕を辿ると、、、地下壕の入口が現れました。
ゲジゲジさんにもコウモリさんにも慣れてきましたw
1つ目の地下壕を出て周囲をウロウロしたところ、地下壕が出てくる出てくるw(゜o゜)w 結局、全部で5ヶ所の地下壕が見つけました。
どれもそれなりに坑道が続いていましたが、内部には特に目立ったものはなかったです。行き止まりの箇所は崩落したと言うよりは掘りかけのような感じだったので、本土決戦用の陣地を構築中だったのかもしれませんね。
地下壕の見取図は割愛して、何枚か写真を載せて終わることにします。
鉄の棒がありました。
階段が1か所だけありました。
立坑、、、落ちたら大変です((((;゚Д゚))))
以上で黒崎砲台おしまいです。
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[参考文献]
「現代本邦築城史」第二部 第十七巻 壱岐要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)