見取図です。

 

開口部の前から「砲塔井」を見上げています。

 

別角度からも。

 

 

堆積した土砂にあがって撮影しています。

左下に入ってきた開口部が見えます。

 

コレって発破を掛けて破壊しようとした跡なのかな。

 

見上げてみた(・∀・)

 

同じ30㎝砲塔を装備した丹賀砲台の砲塔井のサイズは、直径10m、深さ13mなので、これも同じでしょうね。ただ土砂が堆積して底上げされているので、見上げてもそこまでの高さは感じませんでしたが。

 

「砲塔井」の最下部外周はぐるっと回れます。

写真正面が「砲塔井」下部の外壁。この撮影位置なら右回りにまわる感じですね。

この外周ですが、他の地域にある砲塔砲台では「砲側弾火薬庫」とされていましたので、見取図ではそのように記載しました。

 

ところで、、、。

Googleマップの航空写真では「砲塔井」の穴が確認できませんでした。埋め戻されたとばかり思っていたので、まさか残っているとはと驚きですw(゜o゜)w よく偽装されたもんだ(笑)

 

ちなみに「砲塔井」の上は耕作地となっています。見下ろすことはできませんので遠目から眺めます。

 

「砲塔井」や「蓄力機井」以外にも「立坑」が3つあります。見取図では「上部冷却水槽」と書きました。丹賀砲台の説明にそのようにあったので適用しましたが、実際用途は不明です。

 

3つの内1つは[中編]に載せましたので、それ以外の立坑を掲載します。

覗き込むと、中には小さな穴が開いており、壁には梯子の跡が残っています。

 

以上で砲台周辺は終わりですが、離れた位置に濾過池の遺構があります。

『壱岐要塞的山大島砲台 築城図』では、この周辺には濾過池以外にもポンプ所や貯水槽があったようです。

 

島の西南端・馬の頭鼻に灯台が立っています。

島内には、この馬の頭鼻と北端の長崎鼻の2か所に電燈所が配置されていました。

 

当時使われていたであろう繋船場です。

 

以上、的山大島砲台でした。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第十七巻 壱岐要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「壱岐要塞 的山砲台築城図 (大正14~昭和17.関係史料)」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)