2021年5月3日に書換を行いましたので、下記リンクをご覧ください。
以下、旧記事です。
◆砲台名:笠戸防空砲台
◆竣工:不明
・昭和20年5月 工事中 (徳山警備隊戦時日誌)
◆装備:12.7cm連装高角砲 2基、150㎝探照灯 1基、仮称ヱ式空中聴測装置 1基 (引渡目録より抜粋)
13㎜単装機銃1門 現装(徳山警備隊戦時日誌 昭和20年5月)
◆徳山海軍警備隊の概略はこちら→→→
下松市沖に浮かぶ笠戸島の西側稜線上に「笠戸防空砲台」と「深浦照聴所(のち電探所)」が設置されていました。
現在では島の山々を縦走できる登山道が整備されており、防空砲台の施設を見ながら歩くことができます。一方照聴所は道沿いにはありませんが、道から少し逸れて下ればすぐ見つかりますので難易度は低いです。
では、照聴所の方は後々書くとして、ここでは防空砲台について書いていきます。
『徳山警備隊戦時日誌』を読むと、笠戸防空砲台は昭和18年から基礎工事が始まりましたが、昭和20年5月時点においても「工事中」となっています。6月以降の警備日誌はありませんので完成して運用されたかどうかは不明ですが、戦後の『引渡目録』では「12.7cm連装高角砲 2基」が記載されています。笠戸と同じく工事中だった太崋山防空砲台においても装備予定だった高角砲が記載されていましたが、但し書きとして「未装備中」とありました。笠戸はそのように書かれていませんので、装備は済んで射撃可能だった、、、と推測します。
1947年3月に米軍が撮影した空中写真です。(国土地理院 空中写真閲覧サービス USA-M114-37)
砲座跡などの場所をマークしました。これに基づき遺構を見ていきます。
まずは砲座周辺の写真を掲載しますが、撮影時におけるWBの違いがあるので写真の色合いが変わって少々見づらいです(-_-;)
西側砲座です。
コンクリートの胸壁基礎部分?が残っています。
砲座から東側に向けて塹壕が伸びています。
塹壕を進むとレンガ建造物が。
兵員待避所と言ったところでしょうか。
レンガ積みモルタル張りのようですね。モルタルはだいぶ剥がれていますが。
待避所の中に入ると、壁の四方に出入口があるのが確認できます。上の写真で言うと、左側の壁の出入口は土砂で埋もれて進めませんが、正面と右側は先に進むことができます。
では右側の出入口を出てみます。
出るとすぐに2つ目の砲座があります。東側の砲座です。
こちらも1つ目の砲座同様にコンクリ基礎が残っています。
兵員待避所を上方より撮影。
右下の出入口が2つ目の東側砲座へ、左下は1つ目の西側砲座に繋がっています。
ちなみに待避所の上を登山道が走っています。
次に3か所目の出入口(写真だと右上)を出て進んでみると、レンガ積みの建物が出現です。
指揮所跡です。
内部を覗いています。
だいぶ破壊されちゃってますし、天井の梁がたわんでいる箇所もあります。
ずいぶんと長い庇ですw
指揮所は一段低い所にあるので上方にあがってみました。
上の写真を撮った左手に、土塁を設けられた円形の窪地があります。
以上、砲座周辺の遺構でした。
後編に続きます。
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[参考資料]
「JACAR(アジア歴史資料センター)」
・呉海軍警備隊戦時日誌(Ref.C08030470300~C08030475700)
・徳山海軍警備隊戦時日誌(Ref.C08030476000~C08030476200)
・兵器目録 その1(Ref.C08011474600)
「徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡」(工藤洋三)
「国土地理院地図・空中写真閲覧サービス」