2021年5月8日に書換を行いましたので、下記リンクをご覧ください。
以下、旧記事となります。
※2020年10月28日、配置図掲載により書換え
◆砲台名:大津島防空砲台
◆竣工:昭和16年2月
◆装備(引渡目録より抜粋):12.7cm連装高角砲 2基、150㎝探照灯 1基
・元々の装備は8㎝単装高角砲が2門でしたが、戦争後期に装備の改装が行われました。昭和19年11月の「徳山海軍戦時日誌」を見ると12.7cm連装高角砲 2基が「既設」となっていますので、この時期に完了したと思われます。
・13㎜単装機銃も1門配備されていたようですが、引渡目録への掲載はありませんでした。
【関連リンク】
◆徳山海軍警備隊の概略→→→
◆大津島の照射所→→→
大津島は徳山湾の入口に浮かぶ島で、徳山港からフェリーで最短20分で渡ることができます。人間魚雷「回天」の訓練基地があったことで有名ですが、防空砲台は島の中央部の大津山(今は砲台山と呼ばれていますが)の上に築かれました。
砲台跡は保存されており広めの林道を伝って歩きやすい、、、と言いたいところですが、2020年10月現在では背が高くて太い竹が道のあちこちに倒れていて大荒れの状態のようです。「倒木により通行止」の看板も出ていますが、某登山SNSを見ると最近でも登っている記録を見かけます。それによると、道だけではなく砲台周辺も草ボーボーで荒れ放題のようですが(・_・;)
人の立ち入りができなくなれば益々荒廃してしまいますので、今後の砲台跡が気になるところです。山口県で3つの砲座が良い状態で残っている数少ない場所なので、どうにかならないかと思うところです。
前置きが長くなりましたが、大津島の遺構は大きく分けて「砲座」「指揮所」「兵舎」「発電所」「探照灯」です。
1948年1月に米軍が撮影した空中写真(USA-M741-A-107)から、遺構が残る島の中央部を切り出して掲載します。
本項で取り上げるのは「砲座」「指揮所」「兵舎」となります。配置図はこちら。
防空砲台に行くには、当時の軍道で今は舗装された林道を歩いて登って行きます。
道中では海軍境界石がお出迎えしてくれます(・∀・)
砲台山への林道入口から30分ほど歩くと兵舎跡が最初に現れますが、ここでは砲座から見ていきます。
砲座は3つ、配備された高角砲は2基です。便宜上1番/2番/3番としていますが、終戦後の写真を見ると、高角砲が設置されたのは2番と3番の砲座で、1番は空きだったようです。
1番砲座
別角度から。
中央の窪みが高角砲が設置された砲床部分です。コンクリート製の円形側壁には砲側弾薬置場の凹みがいくつも見られます。階段の両側は凹みの作りが違うので砲具庫かな。それと兵員待機所が1ヵ所あります。(写真右から2つ目の凹み部分)
兵員待機所入口です。
壊れていますが庇があったようです。
内部はたたみ1畳強の広さがあり、地下に下りる穴が開いています。
穴を覗き込むと、下りてくださいとばかりに梯子が置いてありますw
内壁に金具跡が残っていますので、別の梯子が掛かっていたのでしょう。
下りると横穴が伸びていました。
途中で崩れているようですが、横穴は砲床の下に向かって伸びています。メンテナンス用の通路と言ったところでしょうか。なお、3つの砲座ともこの地下通路は存在していました。
1番砲座そばに説明書きがあります。
次に、2番砲座です。
階段の上から内部を見ていますがご覧の通り藪っています(゚Д゚;)
下りてみましたが、1番砲座と同型だと思われます。
待機所もあります。
梯子がないので地下には下りることができませんが。
天井の金具は照明設置の跡でしょう。
最後に、3番砲座です。
1番と2番砲座の兵員待機所は階段の左側でしたが、3番砲座は右側にあります。
別角度より。
砲床を挟んで階段の対面に通路がありますが藪っていたので通っていません。
砲床部分です。
高角砲の砲座は以上ですが、配置図に書いた「掩体(高射装置?)」について。
この掩体は最初に掲載した空中写真に基づき記載しましたが、現地では藪っていたため見ることはできませんでした。
ただ空中写真では何かが配置されていた黒い影が写っているので、2式陸用高射装置が配備されていたと推測してみましたが如何でしょう?
以上、高角砲の砲座でした。後編では指揮所と兵舎跡を見ていきます。
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[参考資料]
「JACAR(アジア歴史資料センター)」
・徳山海軍警備隊戦時日誌(Ref.C08030476000~C08030476200)
・兵器目録 その1(Ref.C08011474600)
「徳山要港防備図でたどる周南の戦争遺跡」(工藤洋三)
「国土地理院地図(電子国土WEB)」
「国土地理院地図・空中写真閲覧サービス」