◆起工:明治26年(1893年)3月9日
◆竣工:明治28年(1895年)10月30日
◆備砲:十五糎臼砲 2門、十二糎加農砲 8門、機関砲 4門
◆廃止:大正2年(1913年) 廃止予定となる→昭和7年(1932年)3月23日 全部除籍
◆設置標高:96.6/98.6m
◆探訪年月:2020年3月
◆下関要塞の概略はこちら→→→
※2021年1月 見取図挿入により加筆修正
富野堡塁は、砲台のあった田向山と笹尾山の西南側に位置し、砲台陣地を側面から守るとともに小倉市街地方面から侵入せんとする敵上陸兵に対するのが任務でした。
現在この場所は、介護施設が建ち足立山展望広場として整備されているため遺構の多くは消滅していますが、堡塁の見取図に現在の空中写真を重ねてみるとこんな感じとなります。
西側(写真左側)に2門1砲座で4砲座が並んでいますが、現在は駐車場となっています。
では現存する遺構を見ていきます。
駐車場から遊歩道を下って北側に入ると、「棲息掩蔽部」が並んでいます。
掩蔽部はコの字形に配され、正面に5部屋、両サイドに1部屋で、合計7つの部屋があります。また、窓や出入口はブロックで塞がれています。
左側のだけ他と比べて作りが違います。
この部屋の左側に階段があります。
出入口上部の通気口の開け方が他の砲台や堡塁にあるソレと異なってます。
よくあるのはレンガ1段分で3枚くらいの細い隙間ですが、見ての通りココはたくさん空けられています。あまり見ないタイプですね。
一番右手の部屋を見ています。
そして右横の壁には階段。
上がってみようかと思いましたが、展望台や老人ホームから丸見えなので止めておきました(^^;)
もうひとつ、棲息掩蔽部の対面にも階段があります。
上がってみましたが特に何もありませんでした。
最後に、介護施設前の駐車場に小さめの掩蔽部があります。
展望台からの眺望です。砲座の前面に当たりますが、小倉市街地が広がります。
以上、富野堡塁の探索でした。
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[参考資料]
「現代本邦築城史」第二部 第三巻 下関要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)
「下関重砲兵連隊史」(下関重砲兵連隊史刊行会)