後編では指揮所を見てから地下壕を探索します。
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電探室の前方に指揮所がありますが、電探室や逆探室の位置より一段低い場所に築かれています。
上から見下ろしていますが、ちょっと分かり難いですね。
右前方から見ています。2つの円形部屋で構成された2階建ての指揮所です。
対馬警備隊の引渡目録には指揮所の仕様について、「円型半地下コンクリート 直径3m、深さ2.5m、地上高2m 射堡隊発射指揮所も兼る」と書かれています。射堡隊は次回紹介しますが、地上から魚雷を射出する部隊のことです。
なお郷崎派遣隊も水上電探と射堡隊の陣地を構築中でしたが、同じ形状の指揮所が現存しています。ただ、こちらは射堡隊の指揮所として分類されています。
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1階部分を左前方から。コンクリートの質感から戦争末期を感じますね。
観測窓が3つありますが、いずれも外側に向けて広がっています。
入口から中に入りました。
左が出入口ですが、右側に2階への階段があります。
成人男性が通るには狭すぎる階段...(^^;
階段を上がった所から2階部屋の天井を見上げています。
1階と同じく観測窓が3つあります。
床面と上がって来た階段を見ています。1階部屋と比べて非常に狭く、2人入ると狭苦しい感じです。
2階部分を正面から。
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指揮所を後にして史料の「引渡目録」に書かれている地下壕を探しに行ったところ、史料通りに4本の地下壕と2つの削平地を見つけました。
なんとなく残る道筋を辿って斜面を下ります。
分岐路で道が二手に分かれていますので、まずは上の方に進んでみます。
1つ目の地下壕が現れました。史料だと「発電機室」となります。
素掘りのI型洞窟です。史料には長さ6m×幅3m×高さ3mと書かれています。
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発電機室壕の上方に2つ目の地下壕「燃料庫」があります。
こちらのサイズは長さ8m×幅3m×高さ3mです。
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3つ目の地下壕を目指してさらに道を上がります...って道ある?^^;
滑りそうになりながら斜面を上がって、3つ目の地下壕「電信室」に達しました。
サイズは6m×3m×3mです。
床面の土を掃うとコンクリート床が現れました。
電信室壕が斜面の地下壕で一番高い位置にあります。ここから斜面の道を上がると逆探室の辺りに行き着きます。
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先ほどの分岐路に戻り今度は下におりてみると、削平地がありました。
掘り下げて平坦にした感じですが、史料に照らし合わせると「烹炊所」となります。8m×3mの半地下木造の建物が設けられる予定だったようです。
烹炊所から横歩きすると同じような削平地があります。こちらは「厠」となります。
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烹炊所のすぐ脇に4つ目の地下壕「兵員室」があります。
4つの地下壕の中で一番長く、入口付近に凸部が設けられています。なお史料では18m×3m×3mと書かれています。
右側の凸部。
左側の凸部。
奥から入口を見ています。
それでは退出します。
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「引渡目録」にはもう一つ「浴室(穴ノミ)」と書かれた施設がありますが、特定することができませんでした。
これにて水上電探陣地で確認した遺構はおしまいですが、兵員壕から射保隊の陣地に向けて道が下っていますので、次回辿ることにします。
以上、神崎派遣隊 水上電探でした。
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[参考資料]
「昭和20年9月30日 引渡目録 対馬警備隊」(Ref No.C08011397300~C08011400800、アジア歴史資料センター)
「国土地理院地図(電子国土web)」を加工して使用
「兵器と技術 (276);1970・5」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「兵器と技術 (277);1970・6」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「兵器と技術 (279);1970・8」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「兵器と技術 (340);1975・9」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「海軍砲術史」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「海軍少年電信兵 : 後世に伝えるわが青春のあかし 写真・図説・記録」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「太平洋戦史 : ジュニア版 3(死闘編)」(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「REPORTS OF THE U. S. NAVAL TECHNICAL MISSION TO JAPAN」(Fischer-Tropsch Archive)