中間市上底井野(かみそこいの)地区の御座瀬山に建つ忠魂碑を訪れる。
この地は旧上底井野村があった地域である。江戸時代の福岡藩主黒田長政の時代に底井野に遊猟場が設けられ、2代藩主忠之の代には御座瀬山に別荘が建てられた。これが底井野の御茶屋といわれるもので、3代藩主光之時代には、藩主や家老などが月見や花見、舟遊びなどを楽しんだといわれる。
なお、行政区分としては、明治22年の町村制施行で底井野村となり、昭和7年には中間町に編入、昭和33年に中間市が誕生して今に至る。
御座瀬山は標高10mほどの丘陵地である。
御座瀬山の上に忠魂碑が建っており、高い位置に砲弾が置かれている。
元々は忠魂碑と刻まれていたようだ。戦後に改称されたと思われるが、なんかぐちゃぐちゃになっていて判読できない。忠霊塔か?
題字の揮毫は、第十二師団長杉山元 書となっている。
杉山元は、現在の北九州市小倉南区横代出身で、最終階級は元帥陸軍大将。日露戦争従軍後は陸軍の航空機発展に寄与、参謀総長、陸軍大臣を務め、昭和18年には元帥府に列せられた。第1総軍司令官として終戦を迎え、その後自決した。
第12師団は明治31年の編制以来小倉を衛戍地としていたが、大正12年に久留米に移転した。杉山が師団長を務めたのは昭和7年から8年にかけてなので、忠魂碑はその時期に建立されたと思われる。
忠魂碑の建築年は不明。どこかに書いてあるのかもしれないがよく見ていない。
右の銘板の文字は昭和30年4月17日建之と読めるので戦後に改築されたようだ。
昭和46年に移転改築とあるが、題字の改称をはじめ台石もぐちゃぐちゃでデフォルトがどうだったのか分からなくなっている。
寄付板がある。







