今回は生月島(いきつきしま)の北端に建設された「生月砲台」を紹介する。
本砲台は大東亜戦争末期に構築された本土決戦用の横穴隠蔽式海面砲台(穹窖砲台)である。
"苛酷なる敵の砲爆撃に耐え近接する敵艦艇、上陸用舟艇及水陸両用戦車を撃碎する為"、昭和20年3月以降、上陸の予想される本土の沿岸部や湾内に急ピッチで建設が進められた。
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海軍の「海面砲台」は対艦船攻撃用の平射砲を配備したことから「平射砲台」とも呼ばれ、敵機に対する防空用の「高角砲台」と区別された。
戦争初期の平射砲台は、前記事で紹介した「高島海面砲台」のように上空から曝露した露天砲台として設けられていたが、佐世保軍港を守る砲台は当初、「佐世保海軍防備隊」の編制に名を連ねていた。
佐世保防備隊の砲台配置
昭和18年4月、砲台火砲を南方島嶼の防衛に転用したため上記5つの砲台は廃止されたが、同年10月には「佐世保海軍警備隊」の所属として、電波探信儀を備えた対空見張所のある大瀬崎と女島に八糎砲を擁する平射砲台が構築された。
昭和20年になると本土決戦が現実を帯びてきたことから、本土沿岸部に穹窖砲台の建設が進められた。「佐世保警備隊」においては、軍港守備地区以外にも天草地区、鹿児島地区に数多くの砲台を建設した。
終戦時の佐世保軍港守備地区の砲台配備。
なお「生月砲台」は海軍の砲台だが、本土決戦に備えて九州北西岸を防衛する陸軍・「壱岐要塞守備隊」の指揮下に入っていたようだ。
【参考記事】
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さて、昭和20年3月18日付け指令に伴い、海面射撃を目的とした平射砲を格納した横穴隠蔽式の穹窖砲台の建設が進められたが、この砲台を直掩する機銃砲台を併設する所も多かった。「生月砲台」にも機銃が置かれたが、「佐世保警備隊還納目録」に記載の主要兵器は以下の通りである。
十四糎砲 2基、二十五糎機銃 4基、二米測距儀 1基
平射砲の十四糎砲の砲種は不明だが、「五十口径三年式十四糎砲」か「四十口径十一年式十四糎砲」のどちらかだと思われる。
「五十口径三年式十四糎砲」は、伊勢型、長門型の戦艦の副砲、軽巡の主砲として装備された。
周防大島の陸奥記念館展示品。戦艦陸奥には砲郭タイプの副砲として18門(改装後)が装備された。
【参考記事】
「四十口径十一年式十四糎砲」は、主に潜水艦に搭載された。
(※WEB「NavWeaps」より引用)
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それでは遺構を見に行く。
生月島北端、大バエ灯台の北東崖面に穹窖砲台1つが現存している。砲台は2基あったが、1基は埋没して確認できない。
なお、「佐世保警備隊還納目録」には、超アバウトな略図が書かれている。
(※アジア歴史資料センター:「佐世保海軍警備隊還納目録」より抜粋・引用)
Xフォロワー様の事前聴取で、民家の辺りに兵舎があったようだ。近くに水槽が2基残っているが、当時物かどうかは分からない。
昭和33年初点の大碆鼻(おおばえはな)灯台。赤で囲った部分は、陸軍砲台射光機の掩燈所を利用していると思われる。
灯台の北東崖面に残る穹窖砲台。
左側に砲身を格納するスペースが設けられている。
コンクリート施工は前面のみ。砲室内は素掘り。
砲室。
後方に坑道があるが奥には続いていない。掘りかけだったか。
坑道から砲室内を見る。
砲室内左上方に穴が開いている。
砲口を内側から見る。
砲台前方の景色。
以上、生月砲台の紹介を終える。
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[参考資料]
「佐世保防備隊戦時日誌」(Ref No.C08030432000~C08030547800、アジア歴史資料センター)
「兵器還納目録 佐世保防備隊」(Ref No.C08010924900、アジア歴史資料センター)
「各地設営隊綴 (2)」(Ref No.C08011295300、アジア歴史資料センター)
「佐世保警備隊還納目録」(Ref No.C08010924500~C08010924800、C08011465800 アジア歴史資料センター)
「横穴隠蔽式海面砲台 設計書並に実施要領 昭和20年4月12日」(Ref .C18010217000~C18010218000、アジア歴史資料センター)
WEB「NavWeaps」
「国土地理院地図(電子国土web)」を加工して使用



















