萩市街地の北東部には日本海に突き出す岬のような陸地がありますが、これは本土と砂州で繋がった陸繋島で「笠山」と呼ばれています。
笠山一帯は北長門海岸国定公園に指定されていますが、山頂に「明治丗七八年日露戦役陸軍監視所址」と刻まれた記念碑が建っていますので見に行ってみます。
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笠山は市街地から車で15分くらいの所にあり、山頂まで車で行くことが出来ます。
到着
説明
説明看板の後方に遊歩道が設けられています。正面は火口、右手は展望台ですが、記念碑は左手の道沿いに建っています。
道沿いと言っても、道から離れて斜面を下らないといけないんですけどね(^^;
「明治丗七八年日露戦役陸軍監視所址」の記念碑です。
裏面には「昭和八年三月建設 萩市」と刻まれています。
日露戦役について簡単に説明します。
【日露戦争(日露戦役、明治三十七八年戦役)】 明治37~38年(1904-05年)
明治37年(1904)2月から翌年9月にかけて行われたロシア帝国との戦争で、朝鮮半島と満州の権益を巡る争いが起因となり勃発。朝鮮半島に上陸した大日本帝国陸軍はロシア軍を撃破しつつ朝鮮半島から遼東半島に進撃。8月から開始された旅順攻囲戦では大きな損害を被りつつも翌年1月に陥落させた。
一方海軍の連合艦隊は、ロシア艦隊を旅順港に封鎖する作戦を展開するも十分な効果が得られなかったが、陸軍の旅順攻撃により湾内のロシア艦隊を撃破し、続いて開戦以降通商破壊戦を展開して頭を悩ませていたウラジオストク艦隊を潰滅に追い込んで日本海の制海権を手中にした。
翌明治38年(1905)3月には18日間に及ぶ大規模な会戦となった奉天会戦に勝利、さらに5月の日本海海戦において、連合艦隊が圧倒的な力を見せつけてバルト海から7か月の航海を経てやってきたバルチック艦隊を壊滅させた。
その後アメリカを仲介役として和平交渉が進められた結果、9月のポーツマス条約締結によって講和が成立、戦争は終結した。
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日露戦争の時に笠山に陸軍の監視所が置かれていたことを記念するため、戦後28年経った昭和8年(1933)に萩市が監視所址の碑を建之したようですが、建之の経緯は不明です。建物は残っていませんが、立派な物ではなく掘っ建て小屋程度だったのではないかと思われます。
なお監視所の正式名称は「海岸監視哨」となります。以下説明を加えます。
明治37年(1904)2月5日、日本はロシアと国交を断絶、ただちに陸軍部隊および要塞への動員を下令するとともに、翌6日には陸軍の海岸監視哨の開設が下令され、日本国内の各師管毎に29か所、さらに台湾に10か所設けられました。
地図で海岸監視哨の位置を示します。第五師管の担当区域となる山口県下には、萩市笠山と長門市仙崎の2ヵ所に設置されました。
(『明治期国土防衛史』より加筆の上抜粋・引用)
海岸監視哨は、佐尉官の哨長以下、下士官及び兵の監視員7名と通信員2名を基準にして編成されました。
なお海軍は同様の見張所として「海岸望楼」(海軍望楼)を設置しましたが、陸海軍の見張所の目的は異なっており、『戦闘原則』には以下の通り規定されています。
海軍ニ於イテハ海岸望樓ヲ設ケ船舶ニ運動通過殊ニ敵艦ノ動静ヲ監視シ
陸軍ニ於イテハ海岸監視哨ヲ設ケテ敵船ノ海岸近接ヲ監視シ海岸ノ警備ニ任セシム
海軍は航行する船舶の監視ですが、陸軍は海岸に近接もしくは上陸を目論む敵艦船を監視して海岸の警備を行うことが目的でした。なお海岸監視哨は、戦争が進むにつれて順次減員・一部撤去され、戦争終結後にすべて撤去されました。
ところで、史料を紐解くと萩海岸監視哨の哨長に任ぜられた山田専介少尉についてヒットしましたので紹介します。
山田少尉は佐波郡中関村(現在の防府市)出身で、明治33年に山口歩兵第四十二聯隊に入営、36年に少尉に任官、37年には日露開戦に伴い萩海岸監視哨の哨長となりました。その後哨長の任を解かれて大陸に出征、38年3月の奉天会戦にて戦死しました。享年26歳。
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もう一度記念碑を見てみます。
なぜこんな斜面に建っているのでしょう?本当にこの位置だったのかな。
ちなみに記念碑の場所は山頂南東側にあり、北側の展望台のように海上を広く見渡せません。ただ、東の越ヶ浜、西の菊ヶ浜方面の海岸は見通せますので、海岸監視の目的を考えるとこの位置でよかったのかもしれませんね。
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記念碑の紹介は以上ですので、周辺を散策します。
展望台前に皇太子殿下行啓之所と刻まれた記念碑が建っています。
展望台
上の写真は12月ですが、景色は6月です。萩市街地方面。真ん中の小高いのは萩城のあった指月山です。
北側の景色。平べったい島が多いですね。
火口に下ってみます。
火口
火山の説明
なお、笠山の麓、明神池のほとりに鎮座する厳島神社には戦役記念碑が建っていますので、こちらもあわせてどうぞ。
以上、明治丗七八年日露戦役陸軍監視所址の碑でした。
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