高木弘樹くんのことをもう少しだけ | 日本語あれこれ研究室

日本語あれこれ研究室

日常生活の日本語やメディアなどで接する日本語に関して、感じることを気ままに書いていきます

 

 

 高木君のことを先日書いた。大昔に彼が原画をやってくれた記憶を書いたけど、優のお風呂シーンを忘れていたよ。

 ネットを少し見ていたら高木君のファンがたくさんいたことを知ったので、おれしか知らない(かも知れない)ことをもう少し書いてみよう。

 

 通夜の席で、鉄くんと久々に話した。鉄くんは高木君と同時に亜細亜堂に入ってきたアニメーターで、おれは彼らが専門学校で一緒だったのだとずっと思ってた。通夜で聞いたら、専門学校ではなくて池袋の西武百貨店のアニメ用品売場で知り合ったとのこと。その売場はおれも知ってる。亜細亜堂に入る時おれだって、そこでタップを買ったんだもん(800円だったことまで覚えてる)。

 

 柴岡秀一という人のブログも見つけた。柴岡氏も高木君と西武百貨店で知り合ったと書いている。あの頃はそういう場所が友達になるきっかけになったりしていたんだよね。

 柴岡氏がブログで高木君のことを「もどきさん」と呼んでいるのが目に留まった。鉄くんも彼を「もどきさん」と呼んでいたのを知っていたから。「もどき」とは何かというと、高木君はさだまさしに顔が似ていたので周りから「さだまさしもどき」と呼ばれ、それがあだ名として「もどきさん」になったというわけ。

 

 亜細亜堂にいた頃は、高木君と食事することもたびたびあった。「風見鶏」という喫茶店にもよく行った。彼はナポリタンを注文することが多かったが、髪が長かったので片手で髪を押さえて俯いて食べる。あのポーズは、バブル期のワンレン女に先駆けていたな。

 どうでもいいが、彼はマッシュルームを全部よけて残すのだ。おれはキノコ類が大好きなので、いつもイライラしていた。

 

 高木君の奥さんの昔のニックネームは「ひらめちゃん」だった。『じゃりン子チエ』のひらめちゃんに似てたから。

 段々どうでもいいような話になってきたからもうやめるけど、おれは彼の棺に向かって、あの頃一緒にやれてよかったね、ありがとう、と心の中で言った。こういうこと、生きてるうちに言う機会って、ないんだよね。

 

 まあ、そのうちまた会おう。