日本のうた/鮫島裕美子 | 風景の音楽

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“のすたるジジイ”が30~50年代を中心にいいかげんなタワゴトを書いております。ノスタルジ万歳、好き勝手道を邁進します。


令和2年8月11日(火)
日本のうた/鮫島裕美子(★★★★★)


Side 1 
1.この道(山田耕筰)

2.叱られて(弘田龍太郎)
3.早春賦(中田 章)
4.花(滝 廉太郎)
5.荒城の月(滝 廉太郎)

6.砂山(山田耕筰)
7.カチューシャの唄(中山晋平、林 光編曲)
8.赤とんぼ(山田耕筰)
9.宵待草(多 忠亮)
10.  浜辺の歌(成田為三)

Side 2
1.待ちぼうけ(山田耕筰)
2.平城山(平井康三郎)
3.椰子の実(大中寅ニ)
4.夏の思い出(中田喜直)
5.霧と話した(中田喜直)
6.雪の降る街を(中田喜直)
7.かやの木山(山田耕筰)
8.出船(杉山長谷夫)
9.花の街(團 伊玖磨)

(青字はyoutubeあり)
鮫島有美子(sop), Helmut Deutsch(p)

Recorded Jyl. 19,20,23,27, 1984. 山梨県立県民文化ホール
Released by Denon ‎– OF-7157-ND

早朝は曇り空だったが予報は昼の猛暑を告げている。
道路にも散水し、いっときの涼を求めた。
孫は上賀茂神社の清流で7時過ぎから川遊びとメールがきた。
早朝はまだ近所の子が来ないので貸切状態らしい。

鮫島有美子の84年録音。
日本コロムビアのPCM録音である。
デジタルのブームに乗ってどこもかしこも
デジタルがもて囃された。

VINYLの帯には誇らしげに“B&Kマイク使用”などと
書かれていてとても恥ずかしい。
2トラ38のオープンで録ったほうがはるかによいのに。
メーカの力量を上げる勉強であった時代の産物。

鮫島裕美子は我が国のソプラノ歌手の中では
けっこう気に入っている。
ソプラノの中にはとんでもないコロラチュラで
何を歌っているのかさっぱり判らぬ歌手がいて閉口する。

鮫島は歌詞を明瞭な発声でうたうのが気に入っている。
それでももっと声を引っ込めずに前に出して欲しい。
高音部での発声のきらびやかさも気にはなるところだ。
などとおもいつつも悪くはない。

彼女は日本の歌曲を沢山歌っているが
この84年のアルバムは選曲が実によい。
ピアノ伴奏はヘルムート・ドイチェである。
ドイツ留学時代の関係だろう。

ピアノ伴奏者は三浦洋一が随一だとおもっている。
本当は三浦に弾いて貰いたかった。
ドイチュも端正なピアニズムだが旋律に因りすぎている。
日本歌曲の神髄を弾くには三浦の伴奏に敵うものは居ない。

“叱られて”(作詞:清水かつら)

叱られて 叱られて
 あの子は町まで お使いに
この子は坊やを ねんねしな
 夕べさみしい 村はずれ
こんと きつねが なきゃせぬか

叱られて 叱られて
 口には出さねど 眼になみだ
二人のお里は あの山を
 越えてあなた(彼方)の 花の村
ほんに花見は いつのこと

1920年に雑誌“少女号”に発表された童謡である。
作曲は弘田 龍太郎だ。
この詞は奉公に出された子供の心を描いたといわれているが
アタシは清水かつらが実体験をもとに書いたとおもっている。

かつらが4歳の時に母は離縁され、継母に育てられることとなった。
かつらには2歳の弟が居たが病で死別した。
詞の中で“あの子”はかつらを
“この子”が弟をさしているのではないかとおもう。

二番で“二人のお里は あの山を
越えてあなた(彼方)の 花の村”に出てくる“花”とは
かつらの記憶の中では“実の母”であるはずなのだ。
わざと五連目で母へのおもいを打ち消そうとするかつらの心情が切ない。

かつらが継母から邪険に虐められたという記録はない。
だが異母兄弟が生まれた家庭では実母のように甘えることは出来なかった。
居場所のないかつらの幼児体験と当時の“奉公習慣”を重ね合わせて
この詞が生まれたのだろう。

“あした”という童謡もまた清水かつらの体験からの詞だろう。
“お母さま 泣かずに ねんねいたしましょ”
という詞は、弟の死にいつも泣いていた母を諭すことばである。
4歳のかつらの心に残る実母の姿が“あした”になったのだ。

雑誌“少女号”の挿絵では母と娘が布団に入った姿が描かれている。
“お母さま”と母に諭しているのは娘なのだが
アタシには実母と引き裂かれた清水かつら本人だとうつる。
なんともやるせないおもいが募る詞だ。

20年代の童謡には“靴がなる”のように晴れ晴れとしたものもある。
同時に暗く哀しい歌詞もある。
それは戦争が遺した大きな心の闇が産んだものではなかろうか。
そういう背景を知らずして日本の歌は歌えぬ。

ドイチュよりも三浦をと願うのはそういうところからなのである。
鮫島の“叱られて”は幼い子供の心根に沿った歌唱だ。
感傷に走ることなく淡々とした表現の中に
幼子の心情へ深く寄り添う気持ちが籠められている。

鮫島のソプラノを聴いてひさしぶりに合唱指揮をしたくなった。
今はコロナで合唱指導もままならぬ。
コロナが落ち着いたら
新メンバーを集めて日本の歌曲を指揮してみたい。