愛しのS-Fマガジン(70) | 風景の音楽

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“のすたるジジイ”が30~50年代を中心にいいかげんなタワゴトを書いております。ノスタルジ万歳、好き勝手道を邁進します。


愛しのS-Fマガジン(70)

各号の目玉作品は次のとおり(「」は目次に付けられたキャッチコピー)。

1978年5月号(第234号)
★梅田地下オデッセイ 堀晃 「ハードSFの新進、意欲力作百枚!」
★詩帆が去る夏 梶尾真治 「新人が情感に満ちた筆致で描く」

1978年6月号(第235号)
★血は異ならず ゼナ・ヘンダースン 「異星人との心温まる交流」
★絹布と歌 チャールズ・L・フォントネイ 「人間よ、私に従って自由を得よ - 夜ごと呼びかけるザードに誘われ自由を求めてアランは旅立った…」

1978年7月号(第236号)
★耶路庭國異聞 山尾悠子 「繊細な感性で描く鏡像のイメージ」
★やさしいハゲタカ アイザック・アシモフ 「巨匠の描く接近遭遇」

七月に青天の霹靂が勃発。
何と
第235号だけ欠本しているじゃないか。
これまで完璧にコンプリートしてたはずなのに…。
すべて確認していたつもりだったのに…。

どうして今まで気付かなかったのか。
ちゃんと専用書架まで拵えて飾って居たのに。
創刊初期のSFMを揃えるには長い年月が掛かった。
ここまで蒐集して来て欠本があったとは…クヤシイ。

どこかに紛れ込んでやしないか長い時間を掛けて家中を捜した。
みつからぬ。
アタシは激しく落胆し、絶望に打ちのめされた。
この235号一冊だけ手に入れるのは至難の業だ。

でもアタシは頑張ったのである。
古本屋にネットに八方手を尽くして三ヶ月。
ついに手に入ったのですよ。
なにごとにも諦めず、努力はするものでありんす。

アタシは蛇が好きだ。
野生の蛇ではなく、町家に棲む蛇が好きである。
アタシの母の実家は中国山脈のてっぺん近くにある。
広い畑の向かい側に小川を挟んで水田が拡がって居る。

水田にはマムシが出るので、子供が田んぼのあぜ道に近寄るのは
固く禁じられていた。
祖父は酒を飲まぬので捕らえたマムシは
焼酎に浸かることもなく、首を落とされ小川に流された。

松江にあるアタシの生家は、田の字のように
部屋同士がつながっている造りだった。
黒く重たい板戸の押し入れが廊下と台所を隔てていた。
外から見ると大屋根が高く、屋根裏部屋があった。

どうやら押し入れの天井から屋根裏部屋につながっているようだったが
何だか薄気味悪くて、アタシには“入らずノ間”であった。
夜になると天井裏を走り回る鼠の足音がした。
表庭には祖父が経営する菓子工場がある。

工場の隅に金網籠の鼠取りを仕掛けると
時々、太ったドブネズミが掛かっていたものだ。
屋内で天井を走り回る鼠は小さなイエネズミである。
彼奴らは小さすぎて鼠取り籠には掛からぬ。

この小ネズミ共を一掃してくれるのが蛇だ。
実家の表庭にあった物置小屋には
大きなアオダイショウが棲んでいた。
人には関心はないようで警戒心も持っていなかった。

蛇を大人達は“家守り”と呼んで大事にしていた。
アオダイショウは生き餌しか喰わぬ。
家人は餌を与えることまではしないが
邪魔をしないようにそっとしていたから蛇は物置で悠然としていた。

蛇の餌はもっぱらネズミや蛙だ。
蛇は意外に小食で際限なく喰うことはせぬ。
一度餌を採ると当分は寝ているようだ。
ときどき裏庭をゆっくり這ったりしていた。

裏庭には殿様蛙にイボガエルやトカゲなどが沢山居て
生き餌には事欠かぬ。
だが庭はもっぱらシマヘビやカラスヘビのテリトリーだった。
彼らは蛙を狙っているようだった。

シマヘビは体長1mほどの小型であまり人に懐かず
人を見ると急いで姿を消した。
実家から三十分ほど歩いたところに池のある森があった。
ここにはシマヘビに混じってヤマカガシが居た。

池の近くで蛙を狙っているようだった。
ヤマカガシはマムシほどではないが毒蛇である。
ちなみにマムシはハブよりも毒性が強く
咬まれて死ぬ人は年間を通じて結構居るのだ。

アタシは穏健なアオダイショウが好きだ。
家主クラスになると2m近くにもなり堂々としている。
我が家主のアオダイショウは物置の
炭俵の上でトグロを巻き、泰然と暮らしていた。

庭の松の木によくキジバトが巣を懸けた。
産卵の季節になるとアオダイショウ御大は
松の木に這い登って卵を呑んでいた。
カラスが人家に決して巣を懸けないのは頭のいい証拠だ。

キジバトは卵や雛を何度も奪われている。
学習するアタマがないので性懲りなく巣を懸けて
毎年喰われちまう。
キジバトはバカなのである。

アオダイショウはガキに警戒心を持たぬのか
アタシが持ち上げたりしても暴れたりはしなかった。
ヘビと遊んでいるのを祖父母に見つかると
“家から出て行くから触るんじゃない”と叱られた。

町内の家はどこも古い家ばかりだったから
ネズミはどこにも沢山居たことだろう。
我がアオダイショウは町内の家々を巡回して
ネズミを捕らえて丸々と肥え太っていた。

アオダイショウの瞳はまん丸である。
マムシとかヤマカガシの瞳は猫のような縦長瞳だ。
夜行性のヘビは縦長瞳で
人家や庭に出没するヘビは円形の瞳のようである。

ヘビの体表は滑々でさらりとしている。
手に載せるとピンク色の二股舌をちょろちょろ出したりする。
匂いがせず、声も出さぬからペットには最適だ。
じつにカワイイ。

ヘビに比べるとトカゲはバカそのもので、コモド・ドラゴンなどの
でかい奴も居るが知能は庭の青トカゲと変わらぬ。
ところがヘビは学習能力も高く
アオダイショウはなかなかの智恵者である。

古来よりヘビが神々の使いと敬われ畏れられたのは
その賢さと強力な毒をもつことだろう。
西洋お伽話に出てくるドラゴンは
大きな翼を持って空を舞う。

ファンタジー映画には欠かせぬ存在だが
あまり神秘性がないのはドラゴンがマヌケな姿だからだ。
その点、ヘビはなかなか神秘的じゃないか。
手足がなく口と胴体だけってのも神秘的だ。

エジプトの神殿彫刻には猫やヘビがよく描かれている。
繋がれているのは山猫というよりチーターだろう。
ライオンはマヌケだが、猫は神秘的だ。
ヘビと猫は相性もよさそうである。

灰色で短毛種の猫が香箱するとなりにトグロを巻くヘビの組み合わせは
まことに似合いそうである。
我が国の神社に狛犬と狐は欠かせないが
コマヘビとかコマ猫は造られないねえ。

神社に棲む白ヘビはカミサマの眷属として
働いているようだ。
神社のヘビやカラスは神の使いなのである。
真っ白の秋田犬でもカミサマの眷属にはなれぬ。

我が国の神話では“八岐大蛇”は龍ではない。
ヘビなのである。
龍は大陸のもので豊葦原の瑞穂の国のものではない。
やはり日本の神社にはヘビが似合う。

アタシはアオダイショウを家の中で飼いたい。
問題は生き餌をどうするかだ。
調べたらペットショップで冷凍のネズミを売っているようだ。
ハツカネズミを繁殖させる手もあるが、そりゃ残酷だねえ。