万が一 | 満願寺窯 北川八郎

満願寺窯 北川八郎

九州、熊本は阿蘇山の麓、小国町、満願寺窯からお送りするブログです。
北川八郎の日々の想いや情報を発信してまいります。

釈尊はいわれる

 

愚かな人々は 未来のことにあくせくし

 

過去のことを 思い出して悲しみ

 

その為に 萎(しお)れてゆく

 

 

<解説>

 

日本人は「万が一名人」である。だいたい不安がり・・・。

 

不安の大部分は 未来のまだ起きてもいないことを起きるかもしれないと心配して恐がることから不安が起きる。

 

その「万が一」と「不安」が 「万が一」と「不安」という現実をひきつける事を知ろう。

 

人は心に想う事をひきつけるというのが 人間に与えられた能力の一つなのです。

 

ですから日本人は不幸にならない生き方 心配ばかりしながら不安の中で生きる名人なのです。

 

日本人は「万が一」が好きな民族なのでしょう。

 

とにかく あなたの心が「いつも気にすること」をひきつけるのが「こころのある力」の働きなのです。

 

今あなたが心配し イメージする事が現実になり易いという この人の世の働きがあります。

 

あなたが気になるという事は 良きことでも悪しきことでも想い続ける事になり 具体的にイメージしてしまうことを意味します。

 

すると「心の力」にスイッチが入り その願いを叶えさせる方向に働く。

 

つまり「万が一」や「心配事」は あなたの「心からのウィッシュ(wish)の一つ」になる訳なのです。

 

不幸にならない為に生きていると いつも気になるその不幸をひきつけるのです。

 

幸になる為に生きていると その幸せをひきつけるのです。

 

「不幸にならない為の生き方」も「幸になる為の生き方」も同じものを目指していますが ひきつける現実は大きく違ってきます。

 

心配事を心に想う度に ひきつけていると知りましょう。

 

釈尊のいわれるように 過去のことを想い出し その出来事を悲しみ また「万が一」に結びつけると 再びそのことがやってきて「人の心が萎れてゆく」のです。

 

日本人は誰もが「気をつけてね」と万が一のことばを使います。

 

「気をつけてね」と言っている親や友人は いつも「気になる事故かトラブル」をイメージして「気をつけて」と言いますが

 

「・・・・に気をつけて」と言った瞬間 言われた方も その不安とイメージを思い浮かべます。

 

何度も「気をつけてね」ということは 必ず「事故に遭ってね」と言っているのと同じなのです。

 

 

(高木書房 「あなたを不安から救ってくれる お釈迦さまのことば」より)

 




※ 明日( 30日)ポットキャスト第382回「節約とケチの違い」が配信されます。同時に映像版としてYouTubeでご覧いただけます。https://bit.ly/2VaZTVj

※小国楽心会 5月 12日14時よりzoomでもご参加いただけます

https://forms.gle/1oLMqbBVJiWc3Zdt5

※名古屋断食会 5月3 1日〜6月2日

※東京楽心会 6月9日

※千葉九十九里断食会 6月7日〜9日

※福岡お話し会 7月7日

詳細: https://manganjigama.jp/