命について | 満願寺窯 北川八郎

満願寺窯 北川八郎

九州、熊本は阿蘇山の麓、小国町、満願寺窯からお送りするブログです。
北川八郎の日々の想いや情報を発信してまいります。

親しかった人の死をいつまでも嘆くなかれ

釈尊は説かれた

『人が悲しむのをやめないならば ますます苦悩を受ける事になる。
亡くなった人を嘆くならば 悲しみに捉われてしまう。
自ら自己を害いながら、身は痩せて醜くなる。そうしたからとて、死んだ人々はどうにもならない。
嘆き悲しむのは無益である。泣き悲しんでは 心の安らぎは得られない。
見よ 今生きている人々は、また自分の作った業に従って死んでゆく。
生ある人々も死に捉われて この世で死を恐れ おびえおののいている。
人が死んで亡くなったのを見て かの人はもう私の力のおよばぬものだと知って 嘆き悲しみを去れ。』


仏陀は子供を失い嘆く婦人を訪(おとな)い このことばを贈り、悲しむなかれと説いた。

私も長男を失った(2007年)。悲しみは今も深く尽きない。今も時々深い悲しみと嗚咽に陥る。

また 今まで父と母をはじめとして 私の身内の野辺の送りの門火をたくさん焚いてきた。

この世で知り合った親しい人も幾人も見送った。

大切な子供を幼くして事故で失い、嘆きの三年を送り 立ち上がれない人に出会い救ってあげた。

仏陀は親しき人の死を 嘆き悲しみ続けてはいけないといわれる。
あなたの身体を害ってしまうから・・・。

死出の旅に出た人は、あなたの嘆きに心うばわれ あの世であなたの心痛に魅かれ、あの世の学びの舎にたどりつけないでいることだろう。

私の親しい人が早くに父を失い 最近母を失って嘆き悲しんでいる時、本当にそこにいるかの如く母が夢に出てきていったという。

「私はね 今とても元気。お父さんも一緒。あなたね こちらでも修行と勉強がたくさん待っていてね 私は一生懸命勉強しているのよ。楽しくね・・・」

にこにことした姿を感じ、母が楽しげにしている姿にとても安心したという話をしてくれた。

私たちは今世も来世も トラブルや辛い悲しみや喜びや 成功や不成功から罪と安らぎを学ばねばならない。

そこにある意味と それがなされる意味とを 深く学び続けなければならない。

そして今生きている私たちは 悲しむ暇もなく自分の作った業の量や質に従って、まもなく信でゆかなければならない。

特に40・50歳からの時の流れは早い。

若い時は残り時間など考えたこともなく いくらでもあり タダみたいに感じていたのであるけれども、今や私も命の電池の残り時間は少ない。

人の顔が違うように 人の死も 人の死に方も違うかもしれないが、それは生涯の終わりの部分に必ず準備されている。

生の終わりに神に向かう時、少し罪を洗い少し清々しい顔を向けて天に向かう方がいい。

そして その人の地位・名誉・財産に全く関係なく それぞれの その生の業に従って白い旗と黒い旗を渡される。

私たちは渡された旗の重い方にひかれて それぞれの死後の報いの世界へ導かれるのだろう。

愛しい人の死の意味を知って、淋しがってもいいが 悲しんだり嘆き続けてはいけない。

それは死んだ人の転生の学びの足をひっぱることになるからだ。

死者に対しては ひたすら良き転生を祈ろう。

今生の業を光に変えて 次の転生で悪しき業を消せるチャンスを与えられますように。

そして今生の良き業に従って 聖霊たちの祝福のうちにありますように 良き転生を・・・祈ります。

(高木書房「あなたを苦から救うお釈迦さまのことば」より)

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