光あるうちに光の中を歩め・・と晩年のトルストイは説いている。
俗世における恋情や私有欲 名誉欲 経済的成功がいかに私たちの心を金縛りにしているか。
それを理解する間もなく 多くの人が一生を終えると悲しんでいる。
秋も近い夕べに 遠い山を眺めつつ椅子に身を沈めていると 50年を一瞬に感じ「何をしてきたのだろう」と深いむなしさにとらわれる。
「人生に疲れたのだろう」とか「少し迷っているだけさ」という表面的な言葉では癒されないものを感じる時がある。
奥深い所から生じる不安と焦燥は快の追求でごまかせず 絹服と高級車に囲まれても消え去ることはない。
フツフツとわいてくるむなしさを消すには「忙しく立ち働くしかない」と人は言う。
心が揺らぐと生活が揺らぐ。揺らぐ心を買い物で埋めても揺らぎは止まらない。
人の優しさと温かさが一番の薬となる。
私は幼いころから競争心と向上心を取り違えていた。今は欲と意欲の違いもわかる。
多くの友人が夢と野望を混同している。野望は個人の欲であり 人を傷つけることをいとわない。
友は言う。死に際して「俺はやることはやったし 満足満足」と言って死にたいと。
その裏に悲しみと犠牲を伴っていたとしたら 野望のうちに死んだにすぎない。
あの世に持っていけるのは 人に与えた悲しみと喜びだけだ。
仏様の前に差し出す白札が多いか 黒札が多いか。
欲と競争と野望にまみれた人生は 砂袋だらけの気球みたいなもので決して天に昇れないだろう。
(「光る足」より)
※5月1日の熊本小国楽心会は行動自粛要請に伴い中止とします。
オンラインで自宅から生配信します。