私は今朝 珈琲豆を挽き、直ぐに沸いたお湯を注いで
いつも通り美味しい珈琲を淹れた時、
「これはおかしい…こんなに便利に、豊かに、コロンビア豆の珈琲を飲めるなんて、
不自然な出来事ではないか?と疑問がわいた。
あまりにもお洒落で、都会的で、いい生活が当たり前になっている時間と
それらの都会的便利を感謝していない今は これはおかしいと思った。
コロナで世界の動きが止まっているのは 人間社会だけで、
地球は遅滞なく季節が移り変わり、春から初夏へ…
桜は散り、新芽が輝き、いつもの通り朝日が照り、夕陽に移ろい、
一瞬の迷いも遅滞もなく進んでいる。
人間たちだけが 恐怖で立ち止まっている…コロナは人間だけの問題なんだ」
この外的幸福感はもろいし、この当たり前感がコロナを招いたと教えてくれている。
便利で幸せな日常を 疑問に思った。
もっとこの人生で なすべきことは何か、都会的便利と幸せの追求ではなく
もっと大切なことはなんだろう…と思い続けている。
まだ決心がつかず わからないが…。