人間の都合を一番にする | 満願寺窯 北川八郎

満願寺窯 北川八郎

九州、熊本は阿蘇山の麓、小国町、満願寺窯からお送りするブログです。
北川八郎の日々の想いや情報を発信してまいります。

「光る足」

1999年2月から2000年12月まで百回にわたって毎週火曜日 熊本日日新聞のコラム「ワラブギ談義」の原本を10年ぶりに開きました。当時53才~55才。当時から伝えていることは変わりなく その心を読み返したく連載します。


2000.7.18 no77


福岡でナシ園を営む年配の方が来られた。ひどく疲れた様子だった。最近の天候は不順で 台風だけでなく虫の発生や肥料や気温などの複雑な絡みで 実をたくさん採るのが難しくなったとナシの木に文句をつけていた。


実りの少ないナシの木は 切り倒して新しい苗木を植えようと思っていると怒りながら「ナシは難しい」とつぶやいていた。私はナシがかわいそうになり「ナシは何て言っていますか」と聞いてしまった。「え!ナシは果物ですよ。何も言いません」まるで漫才の掛け合いのようになっていった。


「そのぉ・・ナシの気持ちを思ったことはありませんか」「ナシは植物ですよ。ナシの気持ちなんて考えたこともありません。ナシの木にたくさん実らせるのが私の仕事」「ナシは疲れているんじゃありませんか。あなたの大きな期待とたくさんの肥料で。何かクラシックな音楽を聞かせてねぎらってやるといいですよ」「そんなこと 考えたこともありません。ナシを人間と同じように扱うなんて」とそっぽを向いてしまった。


6月に天草を訪ねた折 友人が一日時間を割いて美しい青い海の天草を案内してくれた。別れ間際に心配そうに「天草のイルカが少なくなりつつある」とつぶやかれたのが心に残った。小国に帰って数日後 天草の海と人が大好きというスキューバーダイビングのコーチをしている若夫婦が来られた。「イルカウオッチングに行ってきました。泳ぐイルカをすぐ近くで見られるのはとても素敵でしたが 追い込み漁みたいで しまいには私の方がつらくなりました」と悲しげだった。私はナシ園のナシを思い出していた。