病と痛みに感謝 | 満願寺窯 北川八郎

満願寺窯 北川八郎

九州、熊本は阿蘇山の麓、小国町、満願寺窯からお送りするブログです。
北川八郎の日々の想いや情報を発信してまいります。

「光る足」

1999年2月から2000年12月まで百回にわたって毎週火曜日 熊本日日新聞のコラム「ワラブギ談義」の原本を10年ぶりに開きました。当時53才~55才。当時から伝えていることは変わりなく その心を読み返したく連載します。


2000・2・18 no55




痛みと恐怖で胃をのろう言葉がついつい彼女の口から出ていた。昔 私が断食した時 胃や腸や腎臓や膵臓 肝臓がそれぞれに個性があり それぞれに主張していたと話した。それ以来 私は胃や腸や腎臓 膵臓にいつも声をかけている。「今日もありがとう。お前のことを忘れてはいない」と。


私が彼らのことを忘れ 暴飲暴食したり 夜更かしをしてコーヒーを飲み過ぎたりすると 途端に彼らは騒ぎ始める。深い痛みは恐怖となって私を脅す。私はいろんな細胞と臓器があって初めて私があると知らされる。病は私の生き方の過ちからくる。痛みは私が胃の存在や指の存在 腕や足のことを忘れて思い上がるとやって来る。だから病気と痛みがあると感謝する。私の生き方の過ちをきっちりと警告してくれる・・とその人に話をした。その人は臓器を個性としてとらえることを知って涙した。


同じように胃を切除し 最近痛みが復活した横浜の女性から手紙をいただいた。「この夏は体調があまり良くなく 体はつらい思いもあります。痛みが多ければ多いほど 癒された時の喜びが大きい。健康な人よりもむしろ喜びが深い」と。


病に感謝すると奇跡が起きる。この世に奇跡が起きることを信じて 期待しなくなると奇跡がやって来る。いつも自分のことよりも ほかの人のために奇跡を祈りたい。みんなに光あれ。

東京から胃と切除した女性が来られた。一度で白髪になったという。余命のなさを宣告され生き迷っていた。それでも工房のテラスでおいしそうにコーヒーを飲んでくれた。初冬の暖かい午後だった。