エレベーターのある家 第一回 | 芸能界のちょっとだけ、知っていることについて

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エレベーターのある家 第一回
クレオメディス建築商会
クレオメディス建築商会のことを知っている人間なんていないと思っていたよ。
今年の会社名鑑を見ても載っていないし、電話帳にも載っていないからね。まして新聞の折り込みちらしに入っているのを見たこともなかったし、まかり間違えても、大金をはたいてテレビやラジオでコマーシャルをうつということも絶対にありえないからね。
明治二十七年に創設された会社だと云うことを知っている人間なんてもちろん、いないだろう。そんな昔に記憶のある人間なんていないと思うから。そんな人間はもう生きていないよ。なにしろ、一切記録には残っていないんだから、そこに係わった人間の記憶だけがたよりな存在だと云うわけだ。
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それがどうしてその話しをするんだい。
クレオメディス建築商会を知っている人間がいたとでも云うのかい。
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そうなんだ。昨日、テレビを見ていたら、それを知っている人間が突然出てきたんだ。押入の奥の方にしまわれて忘れられていたへそくりが突然出てきたみたいだよ。
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それは珍しいことじゃないか。うちのテレビではそんな番組はやっていなかったぜ。昨日の何時頃のことなんだい。
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昨日の夜の十時だよ。八坂テレビの「外国人さん、いらっしゃい」と云う番組に出てきたのさ。
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ちょうど、その時間はうちのテレビでは「奥飛騨美食巡り」と云う料理と旅行を組み合わせた番組をやっていたのでそっちの方を見ていたよ。その番組を見なかったよ。「外国人」と云うからには、その話しは外国人のことを言っているのかい。外国人がそれを知っていたと云うんだね。
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そのとおり。
ロシアから来た女優でね。マーシャ・ロバチェフスキーと云う女がその話しをしていたんだよ。マーシャ・ロバチェフスキーはハンガリーの監督と結婚したことがあるんだけど、今は別れている。本人に言わせると想い出と友情で結ばれているふたりと云うわけだね。その監督が日本に来たとき、知り合いの家に泊まったらしいんだ。きっとそのとき強い印象を持ったんだろう。その家に彼女自身が来日することがあれば、泊まったらいいんじゃないかとむかし監督から言われたんだってさ。それで、テレビの番組の中の対談でそのことを話していたんだ。その家に泊まりたいって。でもクレオメディス建築商会のことを知っている日本人なんていないから、その話しをふられても対談していた日本の舞台演出家にはさっぱりと何のことかわからずに、困惑するばかりだったよ。僕はその様子を見ていておもしろくておもしろくて腹を抱えて、笑いそうになったよ。なにしろ、クレオメディス建築商会は明治二十九年に日本ではじめてコンクリート製の個人向け住宅を建築した建設会社だからね。そのことを知っている人間は日本では誰もいないけど。ロバチェフスキー嬢の方も相手がそのことを全く知らなかったので不審気な顔をしていたんだ。日本に住んでいる日本人なのに何故そのことを知らないんだろうって。でも、彼女がそのことを知らないのはもっともだよ。多分、日本でその会社のことを知っている人間はいないんじゃないのかな。住んでいる本人だって自分の住んでいるのがクレオメディス建築商会が建てたんだと云うことを知らないと思うよ。きっと自分が少し変わった家に住んでいるなぁと思うぐらいが関の山だよ。
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じゃあ、その女優、名前は何て云うんだっけ、ロバチェフスキーだったな。そのロシア人はせっかく日本に来る機会があったのにクレオメディス建築商会の建てた家に泊まる機会はなかったんだな。ご愁傷様。
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まあ結果としてはそうなんだけど、彼女がそこに泊まる可能性がないこともなかったんだぜ。ーーーーーーーーー
それはどういうことだい。
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彼女を日本に招待したのは日本演劇協会で、君は知っているかな。チエホフのかもめを二十年間、演じ続けていると云うので有名な俳優がいたじゃないか。南海浜夫と云う名前なんだけどね。彼が赤坂の鉄板焼き屋に彼女を招待したんだよ。彼が外国から来た演劇関係者を招待するときよく使う店なんだけど、珊瑚樹と云う鉄板焼き屋だよ。六本木の交叉点から防衛庁の本庁舎へ抜ける道を途中から左折したところにある。近所にB&Kロックカフェと云うのがあってよく若者がそこでたむろしているよ。そこから夜になるとライトアップした東京タワーがよく見えるんだ。その店自体もネオンちかちかで、電飾が看板のところで明滅しているから、充分に賑やかなんだけど、だから、そんなものが見えなくてもいいんだけどね。
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鉄板焼き屋って。なんか、随分と安っぽい名前に聞こえるけど。
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自分が入ったことがないから、そんな安っぽい呼び名で呼んでいるんだよ。牛肉を一枚焼いて、一万円を差し出さなければならないと云う店だよ。ようするに客が座っている前に肉を焼く銅板が置いてあるのさ。銅板の厚さも二センチもあるんだよ。肉がまんべんなく焼けるようにと云う配慮からその厚みにしているんだと思う。銅板の表面はつるつるに磨いてある。あそこら辺で働いているホステスが客をだまくらかして、引っ張り込むと云うたぐいの店だよ。別にホステスの肩を持つ必要もないけど客の方でも綺麗なお姉さんに自分の太っ腹のところを見せるには都合の好い店だと云うわけだよ。そこに客として座ると、目の前で銅板が熱した状態でテーブルの一部としてあって、霜降りの値段の高い肉が運ばれて来て、その向こうには子供の腕の長さくらいあるようなナイフとフォークを持ったコック帽をかぶった料理人が客の来るのを待ちかまえているんだ。そして店の奥の方から運ばれてきたと生肉を鏡のように磨き上げられて、熱した銅板の上に置くと、すぐにじゅうじゅうと云う音がする。するとコックは素早く、鐘の親玉みたいな半球の形をした蓋をかぶせてむすのさ、それからコックは頃合いを見計らって、蓋をはずす、つまり焼き具合と焼き方をコントロールしているわけだ。肉は湯気をたて肉が置いてある銅板のわきには肉から染み出した肉汁が無数の泡をたてて蒸気になっていく、そこで子供がちゃんばらに使うようなナイフとフオークの出番だ。コックは地獄の屠殺人よろしくナイフとフオークをかちゃかちゃとすり合わせながら、その二つの道具に踊りでも踊らせるようにして肉をきりわけていくわけだ。そして切り分けられた肉は踊るようにして客の目の前に置かれ、客の口の中に、最終的には客の胃袋の中に消えると云うだんどりだ。南海浜夫とロバチェフスキー嬢は並んでそれを食したと云うわけだ。もちろん南海浜夫がロバチェフスキー嬢にいいところを見せようとしてそんなところに招待したんだと思うけど。
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ふたりがどこから出ている金かはわからないけど、そこで肉を食ったと云うわけだろう。でもクレオメディス建築商会とどう云う関わりがあるんだい。さっき、君はロバチェフスキー嬢が彼女の希望を叶えて、目的の家に泊まることが出来る可能性があると言ったじゃないか。それはどう云うことなんだい。実はその珊瑚樹と云う鉄板焼き屋が実はクレオメディス建築商会が個人向けの住宅として建てた建築でそれが売り払われてレストランとして改装したものだった、だって、クレオメディス建築商会がさっき個人向け住宅を建てていたときみは云ったじゃないか。つまりそこに住んでいた住人が、お金に困ってそのレストランの経営者に自分の家を売ったんだと云う「おち」だったら僕は怒るよ。
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もちろんそんなつまらないことは言わないよ。実は本人はその事実を知らないんだけど、クレオメディス建築商会の建てた家に住んでいる人物がそのレストランの中にいたんだよ。
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誰だい。
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鉄板焼きの板の前で肉を焼いているコックだよ。本人はそのことを知らないんだけどね。
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名前はなんと云うんだい。
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雑魚田俊光と云う男だ。その男が妻の良江、娘の萌子、母親の亀と四人で東京でも都心の繁華街にある大きな墓地の裏にある公園のうしろのその家の中で住んでいる。百年も前に建てられた家にだよ。本人はもちろん、その家がクレオメディス建築商会に建てられた家だと云うことは知らない。その男のじいさんの代から住んでいるんだ。じいさんが建てた家だからね。
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都心の墓地と云うとAのことだろう。随分土地代の高いところに住んでいるんだな。
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それは現代の話しだからだよ。むかしはそこは墓しかなかったんだから、家があっても粗末なものしかなかったさ。プロレタリア作家の作品にその場所に建てられている下宿に住んでいる貧乏学生の話があったのが昭和のはじめの頃だよ。土地が異常に高くなったと云うのは現代になってからの話しさ、明治時代にはそんな立派な家はなかったよ。
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本人は自分がクレオメディス建築商会の建てた家に住んでいると云うことは知らないわけだ。
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知らない。それだけではない。その家に住んでいることさえ呪っている。宝くじを百枚買っても一枚も当たらないことも、これまでに手術をするような病気を三度もしたこともみんなその家に住んでいるからだと思っている。みんな悪いことはなんでもその家のためだと思っている。
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Aに住んでいるなら、その家を売ればいいじゃないか。そんな都会の一等地に建物が建っているなら売ればいいお金になるはずじゃないか。土地は自分のものではなく、借り物だとか云うのかい。
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そうじゃないよ。土地も雑魚田俊光名義になっているんだど、何故だかそんないい場所に居を構えているのにもかかわらず土地も家も売れないんだ。それが彼がこの家に住んでいることを呪っている最大の理由かも知れない。
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家そのものに大きな理由があるのかい。それとも土地に。
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変わった家
とにかく変わった家なんだ。誰も知らないことなんだけど日本でコンクリートではじめて作られた個人向け住宅なんだ。明治時代に建てられた家のくせに四階建てになっていて、家の中央には上階まで行くエレベーターが附いているんだ。それで四つの階をすべてつないでいる。それぞれの階に雑魚田の家族がみんな住んでいる。しかし、一階は駐車場のようになっていて人の居住空間ではないんだ。車はないんだけど。二階には雑魚田の一人娘の萌子が住んでいる。萌子は十八才で今年高校を卒業した。三階には雑魚田俊光と妻の良江が住んでいる。そして四階には母親の亀が住んでいるんだ。それらの階をつないでいるのはおもにエレベーターで、明治時代に建てられた建物なのにエレベーターがついているんだ。非常階段もあるんだけど、めったにつかわれないんだ。そして四人の家族は食事のとき意外はほとんど顔を合わせないんだ。食事は一階の駐車場の一角を区切って小さなダイニングが作られていてそこでおこなわれている。だから家族のあいだでふだんからほとんど交流はないのさ。外からその建物を見ると墓地のそばにあると云うこともあるんだけど大きなコンクリート製の墓があるように見えるよ。曇り空の日なんか、その建物が灰色を背景にして立っている姿なんて特にね。でも一階の玄関のドアだけは古びた木製でしゃれた大きな葡萄のレリーフが彫られている。そんな結構な家に住んでいるのに雑魚田俊光は自分の家を呪っているんだよ。それも特に自分の住んでいる土地が売れないと云う理由からね。
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じゃあ、ロバチェフスキー嬢は自分の目の前で肉を切り分けている人物がめざす家に住んでいる人間だとわからなかったと云うことなんだね。雑魚田俊光自身もそのことがわからなかったわけだから。
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そうなんだ。
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でも、そこだけなのかい。クレオメディス建築商会の建てた家と云うのは。
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僕の知る限りではもう一軒ある。この家のある場所は言わなくてもいいだろう。その家も明治時代にクレオメディス建築商会に建てられたのさ。こちらの家は平屋建てで何故だか家の形は六角形をしている。部屋も大小さまざまな部屋があって、それらもみんな六角形の形をしている。家は木材で造られているんだ。百年の歴史が経っているよ。玄関には大きなレリーフがついている。もちろん木彫のものだよ。Bと云う文字が彫られたレリーフが木製のドアにはめこまれているのさ。家自体は大きなもので、小学校のプールが二つぐらい入る大きさなんだ。
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そこの住人も自分の家が誰に建てられたのかわからないんだよね。
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そうだよ。そこに住んでいるのは二十一才になったばかりの若者でね。吉見はしごと云う名前だ。最近まで吉見穴子と云う父親と一緒に住んでいたんだけど、父親も死んでしまって今は一人住まいなんだ。この若者もその家に住んでいることを呪っているのさ。おもに自分の家を売って引っ越そうと思っているのだが、何故だか、家も土地も売れないのだ。不動産屋に話しをすると地盤が悪いのでそこには高い建物を建てることが出来ないから値がつかないと云っている。きっとほかにも理由があるんだろうけれど、何故だか家が売れないんで、金が入らない、それで引っ越すことも出来ないのさ。隣りの家のどら息子がスポーツカーを買ったことも、その家を呪う原因になっている。吉見はしごがある日、目をさましたら、隣りの家の駐車場に銀色のさきのとがったスポーツカーが停まっていた。車高がやたらに細くて形は流線型をしている。流線型なんて、やたら懐かしい言葉だな、昔は乗り物でやたら早く走りそうで性能の良さそうなものは流線型をしていると言ったものさ。前後についている窓ガラスも地面と三十度の角度をしている。走っているとき風を後方に飛ばすためだよ。それに雨の降っているときだったら、その方が雨粒が後方に飛ばされるからね。普通の自動車では上から見たとき、屋根とボンネットしか見えないものを上から見ると前のガラス窓を通して運転席の茶色のダッシュボードと黒いステアリングホイールが見えるんだ。椅子は革張りだ。運転席のメーターには黒い文字盤の中に三百キロの数字が刻まれている。最高で三百キロ以上のスピードが出ると云う証拠だ。それらのハンドルもみんな手作りなんだよ。スピードを出す必要のない日本でなんでそんなものを作る必要があるのだろうかと思うんだけど、そのフロントガラスと云うものも薄い青色が入っているんだよ。エンジンは三千CCでエンジンをスタートさせると黒く塗られたエンジンがぶるんぶるんとふるえてシリンダカバーの上の方についている点火ブラグのコードも揺れるのさ。吉見はしごが目をさますとその車が隣りの家の駐車場に停まっている。それも隣りの家のどら息子の車だ。どうせ助手席にはどら息子がひっかけた女でも乗せるのだろう。それに引き替え、自分は父親も早くに死んで苦労している。まあ、それは最近のできごとと云うわけだけど万事がみんなそうで、世の中のすべてが自分以外の人間をひいきにして、幸福にするために動いているように思われる。それもこの家に住んでいるからではないかと云う感じがするわけだ。
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吉見はしごの父親の名前はなんと云ったけ。
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吉見穴子だよ。
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かなり若い年齢ではしごを残して死んだみたいじゃないか。
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吉見はしごは父親を憎んでいた。その住んでいる家と同様に父親を憎んでいた。
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それはまたどういう理由でなんだい。
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吉見穴子は全くなにもしない男だった。その家を建てたじいさんの遺産で食いつないでいたと言っても言い過ぎではないだろう。吉見はしごがその六角形の家の中で六角形の部屋から部屋へとわたり歩いて父親を捜し歩いても、父親はどこにいるのか、わからなかった。その家の中はそれほど部屋がたくさんあったと云うこともあるが、父親が自分の息子に全く無関心だったと云うわけだからじゃないだろうか。君はそう思わないかい。人間が数え切れないぐらいいるこの都市の中で、思いもかけず人に出逢ったりすることがある。ちょっとした理屈では説明がつかなかったりするわけだ。だってたんに確率の理論を持ち出してもあまりに低い数値が出て来て、説明がつかないからね。きっとその人同士がお互いに逢いたいと思っているからではないだろうか。お互いに逢いたいと云う気持ちがふたりを出逢わすわけだ。しかし、吉見穴子は全く自分の息子に興味もなく、逢いたいとも思わなかったわけだ。だからいくら広い家だと云っても、個人の家だよ。家の中であるのにもかかわらず、自分の息子と顔を合わせなかったと云うわけだ。
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じゃあ、その家の中で吉見穴子はなにをしていたと云うわけなんだい。
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その家は平屋の大きな木造で外見は六角形、部屋も大小、さまざまな六角形の形をしていると云っただろう。家の中にはいくつもの六角形の部屋があって、廊下はつまり部屋を結ぶ空間はいろいろな数字の多角形となっていたわけだ。三角形はいくつわけても三角形だけれども、六角形の中に六角形を入れると角度が余るからね。その部屋はみんな畳がしかれていて、壁のまわりには本棚になっていて、くすんだ緑色の本がぎっしりと部屋の周囲を囲むようにつめこまれていたんだ。穴子はじいさんの遺産を食いつぶしながら、朝から晩までその本を引っ張り出したり、しまったりとそんなことしかせずに一日をつぶしていたんだ。その様子を見て吉見はしごは父親を憎んでいた。そして父親が死ぬとはしごは学校に給食を卸している会社に入って、大きな釜で御飯を炊く仕事をしている。学校に御飯を卸していると云っても、その御飯のおいしさは格別で有名だ。君は知っているか。**炊飯と云う会社のことを。
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うんにゃ。知らない。
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知らないのかい。一度は食べてみろよ。
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うん。
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