羅漢拳   第24回 | 芸能界のちょっとだけ、知っていることについて

芸能界のちょっとだけ、知っていることについて

芸能人の追いかけを、やったりして、芸能人のことをちょっとだけ知っています、ちょっとだけ熱烈なファンです。あまり、深刻な話はありません。

第24回

秘密の研究会社でかつて机を並べていた矢崎泉から日芸テレビの村上弘明のデスクの上の電話が鳴った。その電話がきたのは吉澤が松田政男の開発した新薬について調べようと、その特許を売り渡したと言われている製薬会社を調べようと思っていたやさきのことだった。
「矢崎泉さんですか。今、アメリカに居られるのですか。」
「ええ、ウィンスコン州に居ます。日本に居たとき、松田政男さんについて、いろいろ聞かれましたが、正しいことを教えたつもりで、間違った情報をあなたに伝えたようなので、そのことが気になって電話をかけているんです。」
矢崎泉はウィンスコン州にある大きな湖のそばにあるホテルに自分の専門とする研究の学会の集まりで招待され、そのホテルに泊まっているらしい。電話口の向こうから、何の音も聞こえてこないのは部屋の一室がしめられているのか。本当に田舎のような場所で学会が行われているのか、どちらかだろう。
矢崎泉は実験科学者らしい几帳面な態度を示した。村上弘明のような研究者でないものだったら、気にならないような些細なことでも実証を重んじる実験科学者としての彼にしてみれば大いに気になっていたのだろう。
「こっちに来て知ったのですが、松田政男くんの開発した新薬ですが、噂によると少し複雑な経緯をたどっているらしいのです。」
「複雑な経緯とは。」
村上弘明は聞き直した。
「日本では承認されていないはずです。」
「じゃあ、松田政男氏が特許を取って利益を上げたということはないんですか。」
「日本でも最初は承認されていたんですが、副作用があるということで、承認がとりけされたらしいですよ。日本では製造も販売もなされていないはずです。」
「松田政男さんが開発した薬というのはどんな薬なんですか。」
「最初は精神病に関しての薬だったらしいんですが、筋肉の化学成分を変える効果も発見されたらしいですね。それも単なる噂なんですが。」
松田政男の開発した新薬は最初、その精神病に関する効果から、アメリカで承認され、実験段階で使われたらしい。しかし、人間の筋肉の化学組織を変化させるということが報告され、アメリカで使用が禁止され、日本では研究もされていないらしい。今は日本でも外国でも全く販売もされていないし、使用もされていないというのがただ一つのはっきりした事実だ。松田政男が薬成金になっていたというのは村上弘明の勝手な想像だったのだ。とにかく、厚生省の許可をとって使用製造されるような製薬会社であればその薬は使用も製造もされないということだった。しかし、その薬が開発されたときには売られていたのは事実であり、松田政男がそれなりの利益を得ていたのは確からしかった。
「その薬について、もう少し教えてもらえますか。」
村上弘明が電話口で言うと、海の彼方にいる矢崎泉は人に聞かれてはいけないと内心思っているのか、それとも口に出すのがためらわれるのか、くぐもった声で言った。
「RDー153、研究者の間では通常、悪魔のはく息、と呼ばれているそうです。しかし実体ははっきりしないのですが。」
最初、松田政男がその薬を開発して、臨床に使われたときには大いに歓迎された薬らしい。一種の向精神薬で鬱病などで、ほっておくと自殺の可能性のあるような患者に投与された。麻薬のような、その薬がないと生きていけなくなるような、中毒性や濫用して、幻覚を見るような害がなかつたと最初は思われていたらしい。しかし、試用期間中に、使用している患者の調査をしていくうちに、極端な攻撃性がその性格にあらわれて、もっとも顕著な例は鬱病でおとなしい性格だと思われていた患者が攻撃的な犯罪、殺人や強盗に走るという事例がわかり、何人もの患者に事故が起こった。そして、さらにわかったことは今までは体力的に劣っていたと思われた患者がその薬を投与されることによって筋力が二倍にも上がっていた。研究者がその筋肉の組成を調べるとたんぱく質の組成が変わっていた。そして、患者はその数ヶ月後に死亡した。この事実は一部の研究者しか知らなかったらしい。その研究者たちのあいだで、その薬につけられた名前は「悪魔の吐く息」だった。村上弘明には松田政男の開発した新薬が短期間の間しか主に臨床によってしか使用されなかつたというのも耳新しいことだつたが、その薬の副作用として筋肉の化学変化、そして死にいたるということも意外な事実だった。そこで、村上弘明はK病院のゴミ捨て場で出会った幽霊のような若者のことが思い浮かんだ。今泉寛司の話しによれば、福原豪の子供は一人をのぞいて全て女らしい。そして一人だけ子供がいるが、その子供は精神を病んでいるという話しだ。あのゴミ捨て場の柵の向こうで薄気味悪くこちらを見た若者の顔が思い浮かぶ。そのときはそんな印象はなかったのだが、矢崎泉の「悪魔の吐く息」の話しを聞いてからはある想像が村上弘明の心のうちには浮かぶのだった。それはK病院にあると言われる部屋の中がスポンジで覆われていて表面に厚いビニールが張ってあるという部屋、もしかしたら、福原豪の一人息子、あそこにいた若者がその薬の服用をしているのかも知れない。それで手がつけられないくらい暴れるので、その部屋に隔離するのかも知れないと思った。
******************************************************************************************
大阪市内にある九州の方から進出しているというパチンコ、チェーンのある一店にゴト師のグループがよく来るという情報をつかんだ村上弘明はその店に取材に行った。最近のヴィデオカメラの性能は著しく、その手口を全て隠し撮ることができた。放送をするときにはもちろん、顔にはマスクを入れる。村上弘明は警察ではないのだから。そのテープを制作室に持って行って編集をしていた。東京にいたときには考えられないことだった。本社では完全な分業体制が決まっていてめったなことでは制作室に入るということはなかったが、ここではよく自分みずからテープの編集をすることがあった。テープを編集機に挿入するとメニュー画面がモニター画面上に現れた。早送りで再生していくと今撮ってきた映像が現れた。ゴト師の指先を拡大してみる。撮られていることを知らない彼は手に持った発信器のスイッチを入れているようだ。パチンコ台の基板についている電子機器に誤動作をおこさせようというやり方だった。ビデオテープが無機質な回転音を立てているのを聞いていると若干の疲労を覚えた。少し離れたところに置いてある内線電話が鳴った。内線電話は二度ほど転送されて制作室のこの電話にかかって来たらしかった。受付の守衛の声が聞こえた。
「吉澤さん、こちら、受付ですが。今、服部良子さんというご婦人が尋ねていらっしゃったんですが。服部さんは、以前に一度お伺いしたことがあると仰っています。」
村上弘明は服部良子と言われても誰のことか、皆目見当がつかなかった。知り合いの飲み屋やプロダクションの人間のことを思い出してもその名前は浮かんで来ない。
「K病院のゴミ問題で以前、お伺いしたことがあるそうですよ。」
そこで村上弘明はその主婦のことを思いだした。そもそも、K病院のことを調べるきっかけを与えてくれた女性だ。最初はK病院のゴミ問題からこの取材は始まったのだ。村上弘明は最初に会ったときと同じ応接室に彼女を通した。前に来たときと同じように彼女はショッピングバックに資料らしきものをたくさん入れて来ていた。
「その後の取材の進行具合をお伝えしていなくて申し訳ありません。K病院や福原豪のことをいろいろと調べているところです。調べれば調べるほどいろいろなことが出てきますよ。」
「そうでしょう。じゃあ、あのゴミ捨て場も見て来たんですか。」
「もちろんですよ。写真もちゃんと撮ってきましたよ。」
「ただ、取材を頼むだけじゃ、なんだか、まどろっこしくて、私なりにあの病院や福原豪のことを調べたことがあるんです。」
服部良子が持って来たショッピングバックには彼女が調べた資料が入っているらしい。彼女はバックの中からテープレコーダーを取りだした。テーブルの上に置くとそのスイッチを押した。音が出る前に、さらにバックの中からカセットテープを何本か出して来た。みんな三十分の短いテープだった。
「これはみんなK病院や福原豪の自宅に電話をかけたときの録音です。」
やがてテープレコーダーのスピーカーから音が出始めて、電話特有の機械的な音声が聞こえた。それはみんなありきたりな電話の応対だった。それから彼女はアルバムを取り出すとまたテーブルの上に広げた。
「これは。」
「K病院の入り口やゴミ捨て場、福原豪の自宅入り口あたりに張り込んでいて撮った写真です。」
明らかに、市民のやる範囲を逸脱しているように村上弘明には思えたが、このくらいやらなければ、K病院の謎はとけないのかも知れなかった。写真の下には撮影した年月日時間、場所などが記入されていて、K病院や福原豪の裏の姿の一部を写している。彼女に夜中でも写すことのできる赤外線カメラを貸し与えていればこの三倍の量の写真を手に入れることができるかも知れないと村上弘明は感じた。そこには病院の出入りをしている病院の職員、大きな外車で豪邸から出ていく福原豪の姿があった。病院のゴミ捨て場では病院の職員がビニール袋を抱えてゴミ捨て場の柵を越えてゴミをほおり投げている連続した写真が何枚かあった。
「おっ、これは。」
村上弘明の興味をさそう写真があった。ゴミ捨て場のところに、あの幽霊のような若者がまた写っていたのである。
「この若者は。」
「この人ですか。福原豪の一人息子の福原一馬ですよ。吉澤さんはご存知なかったのですか。福原豪の一人息子の福原一馬は鬱病であの病院に入って治療を受けているという話しですよ。でも、比較的自由で病院を自由に出入りしているみたいですね。この日もゴミ捨て場のあたりをうろうろしていて何か捜し物をしているようでした。よく、ゴミ捨て場のあたりでこの人を見ますよ。」
すると福原一馬は何を探しているというのだろうか。村上弘明には疑問が残った。
「それより、これを見てください。こんな危険なものが棄てられているんですよ。」
そう言って服部良子は再び、ショッピングバッグの中からK病院を告発するための証拠の品を取り出した。そしてそれをテーブルの上に置いたが、他の証拠とは受けるインパクトが違っていた。まず第一にテーブルの上に置かれたとき、堅い物同士がぶつかりあう、かちんという音がしたからだ。それは茶色のガラス瓶だった。瓶の側面に張られた紙のラベルは相当に汚れていたがRDー153という名称がたしかに見えた。瓶の底には五、六錠の錠剤が残っていた。薬が削れて粉になり、その粉が茶色の瓶の内側に付着してガラスが曇っている。
「こんなものが、あのゴミ捨て場に棄ててあるんですよ。こんな、なんの薬かわからないようなものが。私もどんな薬か、わからないから、近所に来る野良犬に肉の中にはさんでその薬を食べさせてみたんです。すると、急に狂ったように駆けだして、ブロック塀にものすごい早さでぶっかっていったんです。そしたら、あの厚いブロック塀が壊れて、そのまま野良犬は川の方に走っていって川の中に入るとそのまま溺死して泥水の上にぷかぷかと浮かんで流れて行きました。」
「ここにある以外にこの薬はありますか。」
「いいえ、ありません。」
「この薬がどんなに危険なものか、わかりませんから、私が預かります。いいでしょう。幸い、私は化学研究所に知り合いがいますから、この薬を調べてもらいます。もちろん、その結果はお知らせします。」
「そうして貰えれば一番安心です。」
****************************************************************************
新聞部の第二の部室と呼んでもよいような掘っ建て小屋、そこはかつてはウェートリフティング部の部室で、校舎から離れた校庭の片隅の林の中にわすれられたように建っている。昔はここをウェートリフティング部が使っていたのだが、今はその部もなくなっているので新聞部の休憩室のようになっている。もちろん、学校の許可を取っているわけではなく勝手に吉澤ひとみたちが使っているのだった。この朽ち果てた木造のおんぼろ小屋の中にはかつてその部が存在していたときに使われていたバーベルやダンベルが赤錆たまま、放置されていた。吉澤ひとみ、松村邦洋、滝沢秀明の三人はここで同学年の生徒が来るのを待っていた。手持ちぶさただった滝沢秀明は試しに赤錆たバーベルを持ってみたが、すぐに自分の手がその赤錆で汚れたことに気がついて手を離した。半分割れかけたドアをようした引き戸があいて吉澤ひとみたちと同学年の深見美智子がこの小屋の中に入って来た。
「待たせてご免なさい。」
「詳しく、話すからって廊下のところではあまり詳しい話しは聞けなかったんだけど、どういうことなの。」
今日の昼休みの昼食の時間に吉澤ひとみたち、三人は一階の職員室と正面ホールに挟まれた食堂で昼食をとろうと思って職員室の横の廊下を通って食堂へ行く途中、教会のミサをおこなう講堂のような大ホールの方から同学年の深見美智子がやって来て声をかけられたのだった。ちょうど、職員室の前だったので深見美智子は詳しい話しもすることもなく、あとで校庭のはずれにある元のウェートリフティング部の部室だった掘っ建て小屋で待っているように言われたのだった。吉澤ひとみにはぴんと来るものがあった。教室の中で兄の弘明と連携しているK病院の取材について話しているとき、たまたま語学でひとみたちのクラスに来ていた深見美智子がその会話を聞いていたのだ。吉澤ひとみの高校は英語に関しては成績順にクラスわけがなされていて、深見美智子、吉澤ひとみ、松村邦洋、滝沢秀明の三人は同じ成績だったのでその時間は席を並べていた。その授業が始まる前の雑談をしているとき、三人が村上弘明につれられてK病院に関する取材をしていたときの話しをしていたとき、深見美智子はその話しを聞いていたらしい。こっちを向いている深見美智子の視線に気づいて吉澤ひとみが深見美智子の方を向くとあわてて、彼女は目をそらした。そのとき、きっと吉澤ひとみが高校生の身でありながら日芸テレビの報道関係の仕事の一翼を担っていることに興味を持ち、何か彼女自身にもそのことで日芸テレビを含めて自分たちに用があるのではないかと思った。
「あの、吉澤さんのお兄さんって日芸テレビで報道探検隊って言う番組をやっているんでしょう。」
「そうよ。」
「それで、あなたたちが教室で話していたのを聞いたの。お兄さんと一緒に取材の仕事も手伝っているって。」やはり来たか。と吉澤ひとみは思った。深見美智子は何か、取材対象を持っているのかも知れない。吉澤ひとみは深見美智子のことをあまりよく知らなかった。ただ、彼女の家が歯医者をやっていてわりと裕福だということは聞いたことがある。松村邦洋はもっといろいろなことを知っているらしかった。
「美智子の家の血統書付きの犬をテレビに出してくれって言うのや、ないだろうな。あかん、あかん。そんなこと。テレビを私的なことに使ったらあかんがな。」
「そんなことや、ないよ。でも、かなり関係のあることだけど。」吉澤ひとみは深見美智子の家族全員がかなりの犬好きで、特に美智子の母親は犬好きが高じて何度も自分の犬を品評会に出すような女性だということを知った。
「この町で犬の虐殺が何度も起きているのを知っている。」
深見美智子は伺うような目をして吉澤ひとみに尋ねた。
「さっき、美智子は犬を何匹か飼っているって言っていたわね。あなたの飼っている犬が殺されたの。」
「ええ、最近、買った犬なんだけど、いなくなって、おかしいなと思って、その夜は家に帰って来なかったの。そうしたら、次の日の朝、川に浮かんでいるのが発見されたの。おなかがぱんぱんにふくれていたのよ。」
深見美智子の顔には苦痛があふれた。
「誰が、そんなことをしたの。犯人はつかまらないの。」
「それが私の家だけや、ないのや。犬の愛好家の中ではその噂で持ちきりなんやけど、もうそんな事件が七件もこの町で起きているんや。一体、これはどういうことなの。」
吉澤ひとみはこの町でそんな事件が起きているなんてことは全く知らなかった。
「それだけじゃ、ないのよ。私たちがこんなに悲しい思いをしているのに、それを商売にしようとしている人間がいるのよ。」
「商売にしているって、どんなこと。」
吉澤ひとみは深見美智子の真意がわかった。その犬の失踪、もしくは虐殺を商売にしている人物を番組、つまり、村上弘明のやっている番組、報道探検隊で取り上げてもらいたいと思っているのだ。
「商売にしているって、どんなこと。」
吉澤ひとみは再び、深見美智子に尋ねた。
「商売にしているというからには、お金を要求しているんでしょう。どんな方法でお金を要求してくるのよ。」
そのことに関しては深見美智子はいまいち確信が持てないようだった。
「お母やんなんかは、あれは詐欺なんかじゃないなんて言っているんだけど、私は絶対に詐欺に違いないと思うんや。だってお金を要求してくるんだもの。」
「お金を要求してくるってどんな方法をとるのよ。具体的に教えてくれる。」
「そうや、具体的にどんなふうにだまし取られるのか、聞かないことには何とも言えないやないか。そうやろ。滝沢。」
深見美智子は引っ込み思案な性格のようだった。自分では、詐欺だから告発するという心構えだったが、いざ、そのことを言うのは、躊躇しているようだった。
「昔、日芸テレビに勤めていて、報道探検隊の村上弘明とも友達だって言うのや。」
「そりゃあ、嘘だ。妹の口から言うんだから、これは間違いない。大阪に兄貴が来たのは初めてだし、大阪には兄貴の昔からの知り合いなんていないもん。兄貴から、そんなこと、聞いたことないもん。」吉澤ひとみは断定した。その彼女の言葉に安心したのか、深見美智子はこのおんぼろ小屋に置いてある一段の背の低い跳び箱に座った。跳び箱の上のあんこは破れていて、藁が飛び出していて、ほこりが被っていて、そこに座るとスカートがほこりで真っ白になってしまう。座ろうとした深見美智子に底に座るとスカートが真っ白になってしまうと滝沢秀明は言おうと思ったが無駄だった。滝沢秀明がそう言う前に深見美智子はそこに座ってしまった。
「これは、うちだけではないんやで。この町に住む犬の愛好家はみんな知っていることや。わての家に来たとき、犬の失踪事件、もしくは虐殺事件が起こっているのを知っていますか。と聞いてきたんや。そんなことのあった家の住所、名前や、日時なんかもみんな知っていた。それでお宅も犬の愛好家だから、犬の安全を守るのはどうかと聞いてきた。それでお母やんが、そんな事件のことや、うちが犬を何匹も飼っていることがどうして分かったのかと聞いたんや。そうしたら、日芸テレビ、報道探検隊、村上弘明の名刺を出して、私はこの人の知り合いです。今は内密ですが、この番組が今回の犬の怪事件を調べ始めています。私もそのことを彼、つまり村上弘明さんから聞いて知りました。そのつてで犬の愛好家団体に連絡してこの町の犬の愛好家を調べていき、お宅様の住所氏名を知ることができました。しかし、このような事件はペット産業が盛んなフランスでは昨日今日、始まった問題てせはありません。すでにフランスではこういった問題に対処する方法が確立しています。そう言ってかばんの中から二つの機械を取り出したんや。二つとも愛犬の首に付ける機械だと言っていた。一つは小型無線テレビカメラでこれをつけておくと愛犬の目線で外部の対象を見ることができる。無線でその映像は飛ばせるから、家の中に受信機を用意すればりあるタイムで愛犬が何を見ているか、知ることもできるし、家庭用のヴィデオでその映像を録画することも出来る。そして、もっと小型の機械も取り出して、そっちの方の説明も始めたんや。それは最初の機械よりもうんとちっちゃな機械やった。最初のテレビカメラも充分、小さな機械やったんだけどな。こつちはナビゲーターシステムで衛星を使って愛犬の位置を正確に知ることが出来る、この二つの機械をわんちゃんの首輪につければあなたのわんちゃんの安全は確実だって。」
「その人、どんな人だったの。美智子の話だと女の人か、男の人かさえわからないんだけど。」
昔からこういう手の押し売りはよくあった。道を歩いていると易者に呼び止められて、火難、水難、女難の相がある。拙者、かくかくしかじか、幾多の奇禍に遭遇し、熊野の深山の山伏や遠く唐土の土を踏み、顔相や八卦を見る術を心得ました。貴殿がそこを通り過ぎるのを見てはっとしてあやうく持っていたたばこを取り落とすところでした。私があなたの手相を見てしんぜよう。と言ってぱっと筮竹を机に打ち当てる。そこでとどめにはあなたの顔には死相があらわれている。すぐ三メートル後ろに死に神の姿がわたしには見える。このごろ変な夢を見ることはありませんか。云々。そして、しまいにはありとあらゆる災厄から身を守るというお札や占いの本を売りつけるというのがそのパターンなのだが。そのときの易者というのは山羊髭の丸めがねと決まっている。「それが、若いとは言えないけど三十くらいの女なの。ちょつと小ぎれいなブランドを身につけて、小柄でまあ、顔は十人並みというところや。」
「美智子の家にだけ行ったのではないの。」
「ええ、この町の愛犬家の家にはみんな言っていたみたいや。」
「美智子の家ではすでに飼っていた犬が誰かに殺されちゃったわけでしょう。」
「それで、その女、そのときのことを詳しく聞いてくるんや。どこで犬を見失ってしまったか。いつ、いなくなったのか。最近、変わった人に出会わなかったか。他人との利害関係で争った人物はいないかとか、何かの集会で感情的対立の場面に出会わなかったかといろいろと聞いてきたわ。」
「何で、犬が死んだぐらいで、まるで刑事みたいにそんないろいろなことを聞いてくるのやろ。その女、保健所の職員か。」
松村邦洋もよこから口を出した。
「私の家の犬はそんなこともなかったんだけど。相当すごい殺され方をした犬もいるみたいや。その女も言っていたし、知り合いの愛犬家のおじさんも言っていたわ。」
「犬の惨殺事件やな。」
松村邦洋は持っていた小枝で地面の土塊を掘り返した。
「それで、わてがこの女は詐欺師やないかと思うのわ。何で、報道探検隊のひとみの兄さんの名刺をわざわざうちなんかに見せるかと言うことが一つやろ。」
「もう一つ、そう思う理由があるの。」
吉澤ひとみは深見美智子を見つめながら言った。
「さっき、お宅のわんちゃんにこれをつけておけば安心だと言って二つの機械を見せてくれたと言ったやないか。わんちゃんの目と同じ、わんちゃんが見ているものと同じものが見られるというカメラ、それにわんちゃんのいる位置が特定できるというナビゲーター装置、両方こみで一日千円で貸すというのや。ただで貸したいのはやまやまなんだけどそれではわんちゃんの安全を守るという私の仕事が成り立たないのでお値頃な価格でお貸ししますというのや。一日千円なんて高すぎると思わん、ぼったくりやで。」
「うん、でも、こっちの方が労働や技術という対価を払っているんだから、その報酬を払うのも道理にあっていると言えないこともないんじゃないかな。それで世の中の仕組みは成り立っているんだから。」
今まで黙っていた滝沢秀明が言った。
「でも、言っていることが気に食わないんや。何で、ひとみの兄貴の名刺なんか使わなければならないんや。それにうちにいろいろなことを言ってくるんやで。」
感情的に反発を感じたらどうしようもないだろう。
「言い方がそれらの機械を使わなければ飼っている犬がみんな誰かわからない何物かに殺されてしまうんだろうと言うんや。全く、縁起が悪い。」
深見美智子の家では犬を二匹飼っていた。大型の秋田犬とマルチーズだ。殺されたのは秋田犬だった。家に鎖でつながれていて家の敷地の外には飼い主が外につれて行かなければ外に出る可能性はない。しかし、深見美智子が家族と一緒に和歌山にいる親戚の家に行き、一日家をあけたとき、家に帰ると秋田犬はいなくなっていた。そして犬は惨殺されて見つかったのである。そのことについてその犬のボディガードはいろいろなことを聞いてきた。その秋田犬とは関係がないと思われる深見美智子や家族のこともいろいろと聞きただした。過去の人間関係などもである。その家族に対する怨恨だったとしたら、犬に八つ当たりをしても何の意味もないと思われる。それにこの犬の惨殺事件の被害者は深見の家族だけではないから、彼女の言うことも一理あった。もう一匹の飼っている犬はマルチーズという室内犬だつたから、もし、その犬が被害に遭うなら犬の誘拐ということになるだろうが、室内から出さなければそんな目に遭う可能性ははなはだ低いだろう。必ず犬が惨殺されるという言い方は飼い主の感情をあおる扇情的なやり方だといえないこともない。「お母やん、すっかり、その女の口車に乗っているのや。」
深見美智子は彼女の母親がすつかりその女のペースに乗せられたことが不満の大きな部分をしめていたのかも知れない。
「三日間、機械を貸し出すから、これに記入してくれと言われて調査用紙まで渡されたんやで。」
「その犬のボディガード屋さんって名前は何て言うの。」
「下谷洋子っていう名前よ。」
栗の木団地の自宅に戻って来た村上弘明はヴィデオデッキの前に行くとあわてて鞄の中から帰宅の途中で買っててきたヴィデオの生テープを取り出した。録画しておきたいスポーツ中継があったのだ。カセットをデッキの挿入口に滑り込ませて、自分の机の前に座って以前、温泉旅行に行って土産物屋で買った木彫りのふくろうの置物をいじっていると書斎のふすまがあいて中に吉澤ひとみが入って来た。ひとみの服装は上は水色の薄手のカーディガン、下にはモスグリーンのコール天のズボンをはいていた。その服は身体にぴったりとして悩ましかったが彼女自身にはその意識がないようだった。
「兄貴、今度の日曜日、暇なんでしょう。」
吉澤ひとみは本棚の上に置いてある吊り橋のような形をした時計をなでながら言った。吉澤ひとみは策略家だ。実の兄に対しても親しげな態度や冷たいとりすました態度を使い分けることができる。村上弘明はそんな彼女の魂胆に気づきはするものの彼女の女性としての魅力にあがない切れずに、つい苦笑いしてしまうのだった。
「福原豪に関する情報の進展はあったの。」
吉澤ひとみも松田政男事件に関してはすっかりと取材の一員になっていた。
「川田定男というフリーのジャーナリストに連絡を取ろうとしている最中だよ。この男が福原豪に関してはかなり詳しいらしいんだ。しかし、なかなか、連絡がとれなくてな。」
「何で。すぐに福原豪に関することを教えて貰えばいいじゃない。」そう言うと吉澤ひとみは書斎に置いてある椅子を中央の方に、と言っても書斎の大きさは六畳しかなかったが、持って来て逆向きに椅子の背もたれの方で肘をかけて座った。
「それが住所も電話番号もわからないんだよ。ときどき、雑誌社にルポを載せているけど、それも社会正義や好奇心から出発した記事じゃないらしいんだ。」
「じゃあ、何のために、それをしているの。」「どうも、自分のやっている商売、ゆすりを効果的にやるための道具にしているらしいんだな。それで、川田定男の住所も電話番号もわからないというのは彼がそれが誰にもわからないように用意周到に行動しているからなんだ。しかし、ルポの方はかなり深いところの内実まで探っているし、正確だから、雑誌社の方も問題なく載せているんだよ。」
「ゆすりの片棒を担いでいるなんて、雑誌社の方にもかなり問題がない。」
「まあ、そう言われればそうだけどね。」
「じゃあ、その川田定男というゆすり屋は全く正体がわからないの。」
「そういう危ない橋を渡っている人物だから、誰にも自分の正体がわからないようにしているのさ。でも、噂によると左胸の上の方に天秤はかりのあざがあるという噂だ。」
「天秤ばかりは真実と嘘を計りにかけるというわけなのね。」
「まあ、そんなことだろうが、ゆすりという犯罪をやっているわけだから、矛盾しているさ。」
しかし、村上弘明は福原豪の身辺を調査するためにそんな人物の力を借りなければならないのである。
「友達から変な詐欺師の話を聞いたの。まあ、最初から詐欺師だという話しではないんだけど。兄貴、今まで配った名刺の行き先は全部知っている。そいつは兄貴の名刺を持っていたんですって。」
ひとみの話している人物が自分の名刺を持っているということを聞き、村上弘明は俄然、その話しに興味を持った。
「名刺なんて、めったに僕は他人に渡さないようにしているんだがな。島流しにあった俺の名刺なんて使って一体どんな利益があるというんだい。」
「それが、兄貴。犬の迷子の防止機を高い値段で売りつけているというのよ。小型の無線カメラとGPSなんだけど、それがあれば全部あなたの愛犬の行動は逐一把握できるというふれこみで、高額な値段で愛犬家に貸し出したり、売りつけたりしているの。何でも、絶滅種野生動物調査のために開発されたという装置らしいんだけど信じられないくらい小型にできているの。それをつける動物の行動に支障がでないようにするためだと思うわ。いろいろな付け方があるらしいんだけど犬の場合は首輪に仕込むみたい。この町の愛犬家たちはみんなそれを買ったり、借りたり、それも高額でしているらしいわ。」
机の背もたれにひじをのせながら、吉澤ひとみは目をくりくりさせて村上弘明の方を見た。「でも、何で。ひとみの言う詐欺師みたいな人物のそんな装置を高額で買ったり、借りたりしているんだ。」
村上弘明はこの町で多発している犬の惨殺事件を知らなかった。
「犬の惨殺事件が多発しているのよ。愛犬家のあいだではその話題で持ちきりらしいわ。それで今日、同じ学年の女生徒の深見美智子という女の子から、そんな押し売りみたいな女性が家にやって来てそんな装置を置いていったという話しを聞かされたの。そのとき、この町で犬の惨殺事件が多発しているということと、その女性が兄貴の名刺を置いていつたということもね。きっと、深見美智子は女の直感でこの女は怪しいと思って兄貴の番組で取材調査してもらいたいと思っているのよ。だって犬が死んだことぐらいで家族の個人的なことをいろいろと聞いてきたんですって。犬が死んだぐらいでそんなことをするかしら。それも深見美智子の話によると他の愛犬家の家でもそんなことをしているみたいなの。」
「その女性は何て言う名前なんだ。」
「下谷洋子、深見美智子の話によると小柄で年齢は二十代後半から、三十を少し出たぐらいだとか、言っていたわ。来たときは**というブランドのスーツを着てきたそうよ。」村上弘明は**というブランド名を聞いてもさっぱりとわからなかった。それで東京に居たときは何度か岬美加に馬鹿にされたことがある。その岬美加も今は遠く東京にいるのだ。
「とてもじゃないが無理だね。今は福原豪の身辺を洗うことで精一杯だから。福原豪のことをかなり深く調べていると言われる川田定男を見つけだすことさえ出来ないんだから。とても、ひとみの同級生の手助けなんか出来ないよ。」
「同級生じゃないわよ。同学年。」
吉澤ひとみは少し唇を尖らせた。
「兄貴がたよりにしている川田定男って何者なの。単なる雑誌記者、それも同時に恐喝をやる、単なる犯罪者でしょう。」
「単なる、犯罪者なんだけど、いろいろな有力者の弱点を全て握っている。彼が全てをあらいざらいぶちあける気になれば政治家、高級官僚、大会社の重役、日本の根幹を握っているような全ての権力者がその地位を危うくする。だから、すねに傷を持つ連中は彼の居場所をいつも狙っている。この前の尼崎で起きた、**組がかかわったといわれる暗殺事件があるだろう。あれは川田定男を某有力政治家が**組を使って暗殺しようとした結果だと公安の連中が言っていた。でも、川田政男はその正体を知られていないから、人間違いで殺された人物が居たことは悲しい事実だよ。その後、**という政治家が国有地の再開発事業に関する不正リベート事件で捕まっただろう。あれは川田定男が彼を地検に確実な証拠を持ってさしたからだと言われている。また川田定男はそれらの人間の弱みを全て握っていて、それらの証拠はもし、彼の身に何かがあったときには信用のおける国内外の機関に提出され、彼らの暗部が全て明るみに出ることになっていると言われている。どっちにしても彼がそう言った人間に命を狙われていることは違いがないのさ。だから、自分の恐喝を効果的にするために、ルポを書き、決して自分の素性がわからないように雑誌などに発表している。」
「まるで加藤**や、許**みたいだわね。」高校生の吉澤ひとみでもかつて仕手戦や大掛かりな詐欺事件の主犯格の加藤**、許**の名前は知っていた。
「しかし、彼の少し違うところは伝説のルポライターと言われているところだ。」
ここで吉澤ひとみは笑い出した。自分の兄ながら何を言い出すのだろう。人の暗部をほじくり回して、金を稼いでいるような人間に対して。
「兄貴、単なる恐喝専門の犯罪者でしょう。何、入れあげているのよ。」
「それが、単なる犯罪者でないことは、彼のメジャー石油資本、日本におけるその人脈と関係した企業というルポを読めばわかる。あれでこの前の日本の税制にそのことが盛り込まれているからさ。その内容の有益性は政治にかかわっているものなら誰でもわかるさ。」
そう言われても吉澤ひとみにはその内容も分からないし、税制がどうなっているかなどとは全く興味がなかった。ただ、川田定男のことを語るとき、村上弘明の目が恋をしているように輝いていて、男同士なのに少し気持ちが悪い気がした。
「兄貴、その人のことが好きなの。」
村上弘明はあわてて顔を赤くしながら否定した。
「馬鹿を言うなよ。」
「でも、実際にルポを書いて雑誌に載せているわけでしょう。これはすごい証拠だと思うわ。だって自分自身に関する証拠を公開しているようなものじゃないの。そこから足がついて、正体がばれてしまうということはないの。」
「ルポの中でうっかり漏らした個人的な情報があるんだ。」
「どんなこと。」
吉澤ひとみは政治的な重要性より個人的な話しの方が興味があった。「身体的なことなんだけど左胸、鎖骨の少し下に最初に言っただろう。てんびんの形をしたあざがあると自分で言っている。」
「虚偽と真実を計りにかけるという計りね。どうも裏の世界で暗躍する川田定男にしてみてはふさわしくないんじゃないの。」
「でも、彼は福原豪の裏の顔は全て知っているよ。川田定男にその情報を提供して貰えば福原豪の真実の姿は丸見えになるさ。」
「それでどうやって川田定男に福原豪の情報を提供して貰うか、頼むの。」
吉澤ひとみがそう言うと村上弘明は彼女の方を向いていた椅子をくるりと回転させて自分の机の方を向いた。村上弘明の書斎にある彼の机はスチール製の味も素っ気もないものだった。四本の足は黒い塗装がなされていて天板はプリント印刷された木目調、天板の下には木目調の下の部分を同じ大きさで分割している引き出しが二つ付いている。片方の引き出しの中には鉛筆やサインペン、はさみなどの文房具が入っていてそれらは乱雑に引き出しの中を占有しているだけだった。もう一つの引き出しの中には郵便番号簿や最近買ったビディオデッキのマニュアルや保証書がやはり乱雑に整理されずに入っている。主に大事な本やメモなどは同じ部屋の壁に埋め込まれている収納戸棚の中に入っている。しかし本当に重要な物はめったに見ないので整理箱の中に入れて押入の奥の方にしまわれていた。木目調の机の上には一枚の大きな厚いガラスが置かれ、そのガラス板の上にはその日その日の買って来た新聞や雑誌、誰かの旅行の土産で貰った菓子折などが放り投げてあることが多い。しかし、常に机の上に常駐している物もある。テレビ局の行き帰りのときに買ったアールデコを真似ているが、全くのまがい物のランプと上高地に東京にいたころ、岬美加と旅行に行ったとき買った木製の河童の人形だった。その河童の人形がうらめしそうな顔をしてこちらを見ているのは机の上に乱雑に置かれた五、六冊の雑誌のために机の上を占領されているからだろうか。机の方を向いた村上弘明はそのうちの一冊の雑誌を取り上げた。経済誌ではあるが学問的ではない、それなりの体裁を整えてはいるが時として、有力な経済人や政治家にパンチをかませる、いわゆる一癖ある雑誌だった。それを片手で取ると村上弘明は椅子をくるりと返してまた吉澤ひとみの方を向いた。
「川田定男は近々この雑誌に何かスキャンダルを書いてよこすという噂があるんだ。裏の世界ではそういう噂が流れている。それも皆たぶん、川田定男が流した噂だと思うんだけどね。これに川田定男の方から連絡が行ったら僕の方につないでくれるように頼んであるんだ。」
そのとき、キッチンの方に置いてある電話が鳴った。吉澤ひとみはキッチンの方へ行くと、電話を取った。
「もしもし、吉澤ですが。」
電話の向こうから今日聞いた声が聞こえて来た。
「ひとみ、深見なんだけど。あなた、今日、あなたに校庭の裏のおんぼろ小屋で会ったとき、忘れ物をしていたでしょう。あなたたちが帰ったあとであたし、見つけたの。あとで学校であなたに渡そうと思ったんだけど、あなた、いろいろな教室をわたり歩いているんですもの。つかまらなくて。あなたの家に持っていくわ。」
そう言われても吉澤ひとみには自分が忘れ物をしたという記憶はなかった。
「ええ、忘れ物なんか、したかしら。」
すると電話の向こうの深見美智子は吉澤ひとみに何も言わせたくなかつたのか、矢継ぎ早に言った。
「いいの、いいの。あなたが忘れたものを持ってこれからあなたの家に行くから。」
吉澤ひとみが何も言わないうちに深見美智子は電話を切った。
******************************************************