😂の出会った「漫画家追悼抄」記😢 24幕

★藤子・F・不二雄 (フジコ・エフ・フジオ)    その5

富山県高岡市生 1933年12月1日~1996年9月23日 享年62歳

・代表作……『ドラえもん』『パーマン』『オバケのQ太郎』など多数

・小学館漫画賞・日本漫画家協会漫画賞文化大臣賞・手塚治虫文化賞

・『漫画新聞』 993年1月1日182号「漫画家訪問記」の筆者との対談より再編集

☆アイデアが出ない苦しみは当たり前。だから頑張る☆

 藤子・苦しい事態を二人でいたからこそ乗り越える気持ちが高まったことは事実です。逆に金の損得を気にしないで親の目を盗んで、徹夜して懸命に原稿に取り組んだ学生時代。とにもかくにも喉から心臓が飛び出すぐらいに嬉しかったことは、なんと言っても、そうして描き上げた原稿が作品が雑誌に掲載されて、本屋の店頭に並びパラパラとめくって自分の作品を見つけた時は、今までの中で一番うれしかったし感動しましたね。……あの時に嗅いだ雑誌から漂うインクの臭いは今でも忘れられませんね。忘れていなかったからこそ頑張れたということもあります。そんなことで漫画を描く醍醐味は、今も昔も変わりません。

 ……ヒット作の『ドラえもん』は長く描くことが出来てとても幸せです。アイデアも詰まることがありましたが、それは慢性的なことですからね、でも確かに言えることは、僕の場合、練りに練ったアイデアはダメですね、アイデアを生んだ箱は何ですか?…とよく問われますが、僕は読書が好きなんですよ。その辺が源になっているかもしれませんね。かと言ってネタをそのまま真似するわけではありません。作家である以上、真似は恥じるべきであると思います。漫画はオリジナルティーですからね、それでもなかなか生まれてこないので苦しみますよ……だから漫画を描くうえで一番気にかけていることはアイデアと思います。どんなストーリー漫画でも起承転結が僕の原則です。最近のギャグ漫画はその場の雰囲気で終わっちゃんような、コント風のギャグが多い傾向ですね。自分のキャラクターを自分の考えで進行させるのではなく、物語の自然に任せて描くのも描き手の楽しみなんでしょうね、僕なんか幾らその時がいいと思っても、後から後から考え直してしまうんで、結局、最後まで踏ん切りがつかないんですよ。だから一番苦労するところは

この段階ですかね。

 木村・「人の真似しては絶対ダメ」。これは私が出会った漫画家も語っておりました。やはりオリジナルティを出す意欲が長く漫画家を続けられるものと感じました。真似はダメで思い出したのですが、余談になりますが、漫画新聞が創刊100号を迎えた時に、漫画家さんがお祝いの会を開いてくれました。約50名ぐらいの小さな宴でしたが、田河水泡、手塚治虫、山根青鬼・赤鬼、そして藤子F先生も出席されました。その宴で田河水泡先生のご挨拶した後に手塚先生の挨拶が、「僕は田河先生がいなかったら漫画家になりませんでした。だから漫画手法も研究しました。僕の『鉄腕アトム』の頭のスタイルは田河先生の『のらくろ』の頭の部分を参考にしました。ごめんなさい」と語った後に藤子F先生は、「手塚先生が田河先生にそこまで懺悔するなら、僕も手塚先生に謝罪します。それは『アトム』の手をヒントに『ドラえもん』の手を丸くしたのです。心から懺悔するとともに謹んでお詫びします』。ちょっとした祝宴でのエピソードに大笑い。さらに二人の話に田河先生は「だから誰もから親しまれる偉大な漫画家になったのだよ」と笑顔で言いました。もう爆笑でした。

 ※次回は「僕の作品は小学生の低年齢層がホームグランド」です。

 

 

 

 

(2022年10月5日のFB投稿より)