🥷📡【デジタル漫画新聞】回顧録版💬🖋

 😢私の出会った「漫画家追悼抄」記 😭 26幕

  ★やなせたかし    その2

東京府北豊島郡 1919年2月6日~2013年10月13日 享年94歳

・代表作……『アンパンマン』『おれは孫悟空』

『やさしいライオン』など多数

  ・『漫画新聞』1982年7月 57号&2001年1月279号

   「漫画家訪問記」の筆者との対談より再編集

  ・日本漫画家協会漫画賞大賞&文部大臣賞/日本動揺賞

   /勲四等瑞宝章など

☆漫画家とは何かを真剣に考えること☆

 やなせ・漫画家の世界に入ってくる以上は、”自分は良い仕事をするのだ”と絶えず思っていないと、長くやっていかれません。本当に自己との戦いですよ。……”まだわからない。まだいい仕事が出来ない、今年こそは、来年こそはいい仕事をしよう”と、絶えず自分に言い聞かせて希望を持ってやるのですから、こんな素晴らしい仕事はないじゃないですか。

でも、この漫画界に入ってくる以上は、最低絵が描けないとダメです。それも割といい絵が描けないとね、人のやっていることをいつまでもやっていてはダメ。ある地点に来たら、自ら奮い起して挑戦していくことです。自分の世界がしっかりとあれば、どんな時代が来てもやっていかれるのです。つまり他人が発見しなかったことを発見すればいいんですよ。この世界は椅子取りゲームと同じです。皆座っているんですが、空いている椅子を探し見つけて座ればいいんですよ。…でもね、空いている世界があっても自分が不得意では何にもなりません。自分の得意なものの中で探すことは、これは想像以上に難しいけど、意識して努力して研究していけばいつかは見つかりますから、とにかく描き続けのですよ。休まず描いて行けば何とかなる……ものすごい巨匠にはなれないけれども、ある程度まではいくのではないでしょうか。

何か一つのものにしがみついて、それだけをやっていて、それがダメなってしまったら、たちまち全てがダメになってしまうのは、漫画家としては失格だと思う。

 漫画家とは何かというと、案が考えられる人、絵が描ける人ではないのですよ。……頭で勝負する人……漫画家だと言ってその人が私生活に困っているのでは、それは本当の漫画家ではないと最近思います。…漫画家は案がある人ですから、ピンチを切り抜けていく職業で、どちらに転んでもやっていかれるはずです。私生活にも案をもつべきです。これはスランプの時も同じです。絶えず描くことを休まず案を求める。勿論、体力や気力、健康も大切ですけれどもね。

 ~~次回に続く~~

 木村・この会談後も、縁が深くなり親しく会話させていただきました。多忙な仕事の合間に日本漫画家協会の理事長や会長を13年間務められ、様々な改革をされ漫画界を牽引されました。日本漫画界の立役者と言っても過言ではありません。高年齢でありながらも日本漫画家協会の漫画賞授賞式では、白いハットに白い服装に身を包み、あいさつ代わりに自ら作曲した唄を歌うパフォーマンスをして来場者を喜ばせてくれしました。日本漫画文化を世界的にも発展をさせた大功労者との出会いに感謝感激です。

 漫画家でもあり絵本作家、作詞者、演出作家、など多彩な創作に携わるマルチ作家のやなせ先生の人となりを、このコーナーで知っていただければ幸いです。また、漫画文化を一層広めたいので、大勢の方に読んでいただきたいと思っております。シェアをよろしくお願いいたします。

 次回は2001年、漫画家協会理事長に就任された時の対談を綴ります。

※明日は木曜日、「アジア漫画家見参」です。アジアの国々の作品は素晴らしく新鮮さがありました。お楽しみください。

 

 

 

(2022年11月2日のFB投稿より)