🥲日本の漫画界を変えた男 矢口高雄先生三回忌に想う😪

11月20日のお亡くなる半年前だっただろうか、電話が鳴り受話器を耳に当てたら””♬♬♪俺らが歩けば 俺らの背中に落ち葉がそそぐよ~~……♪…突然、石原裕次郎の「男の横丁」の唄が聞こえました。すかさず矢口先生からの電話と解り、続きを受話器をマイクに一緒に歌いました。大体、先生から電話がかかってくるのは、気分転換に私と一杯やりカラオケしたいことなので、「先生、今晩一杯行きますか」と問いましたら、「木村に会いたいのではなく、何となく歌いたかったのだよ」といってガッシャンです。多分体調もすぐれなかったのでしょうが、お声を聴いたのはそれが最後でした。

 私の眼には生前に矢口先生は漫画創作以外にも偉大なることを二つやった思っております。まずは「あの偉大な手塚治虫ができなかったことをやった」ということです。それは生前に漫画美術館を建立したことなのです。大体が美術館の建立は死去されてからのが定説。それが生前にやられたのです。個人名のまんが美術館は漫画界で初でしょう。

 それと『漫画』と言う定義を変えたことです。広辞苑に記載されている「漫画」と言う従来の解釈に疑問を感じて、新たな解釈をきちんと手紙にしるして版元に送ったのです。1991年以前の広辞苑には「漫画は、単純軽妙な手法で描かれ、無邪気な滑稽を主とする絵」と記されていました。それを『漫画は、絵を連ね、会話の文を書き加えるなどして、物語風に仕立てたもの』と主張。そしてその論理が正式に認められ変更されたのです。詳しい経過と内容は添付した漫画新聞内の「釣りキチ三平の釣れ連れの記」で綴られておりますので、拡大してお読みください。漫画を研究されている人には必見で印象付けをしていただきたいと思います。

 私に教えてくれたことはまだあります。「おい、木村、日本の漫画が世界的な文化になった一因を知っているか」……当然分かりません。先生は「日本は漢字の国で文字が縦書き。それに右利きの人が圧倒的に多い。物の流れとして右から左にS状に流れていくことに無意識に感じているのだよ。だから子供たちに飛行機や魚を描かせると、自然に頭は左、尾は右側に描く人が多い。これは絵画だけでなく、写真、テレビ、映画の映像の画面でもよくみられている。画面に安定感があるんだ。左に頭を描くと離れていく。右に描くと向かってくる……僕はこの心理をつかみ自分の作品は右にポイントを置いて描いているたよ」…いろいろな例を挙げて説明してくれました。まだまだ色々なことを教えてくれましたが忘れてしまいました。

 夢の中に登場してくる先生はいつも笑顔。……それにしても今頃何をやっているのかなぁ~~寿司を食いながら漫画談義をしたいなあ~~もう一度、歌いまくりたいのかなあ~~    合掌(合唱)

 

 

 

 

 

(2022年11月20日のFB投稿より)