🤣私の出会った「漫画家追悼抄」記 46幕🥲

★水野良太郎 (みずの りょうたろう)   その1

  三重県四日市市生まれ。1936年6月7日~2018年10月30日

享年82歳

  ・代表作…『アングリくん』『マリリンモンロー』など多数

 ・イタリアボルディゲラ国際漫画賞受賞 

 ・『漫画新聞』・1985年5月 91号「漫画家訪問記」の筆者との対談より再編集

 ※武蔵野美術大学に入学して画力を付け、朝日新聞ジュニア版に投稿して『アングリくん』を連載。その後も四コマ漫画にも興味を示し「アサヒグラフ」に投稿して採用されて、本格的に漫画の道に進まれました。コマ漫画を描く間にも早川書房の『キャプテン・フューチャー・シリーズ』や河出書房の『メグレ警視シリーズ』などの書籍イラストも手がけ、1000冊以上のイラストを描き上げました。

 ★漫画家より小説家になりたかった少年時代……★

 木村・子供の頃から漫画を描くことが好きだったのですか。

 水野・幼稚園に入る前から好きでしたね。それは生まれ育った家が近鉄名古屋線の駅の隣りだったので、毎日、電車の絵ばかりを描いていました。とにかく電車が好きで、部屋の襖や̪障子に電車やSLの落書きでいっぱいでした。両親も感心して叱りませんでしたよ。だから得意満面で描いて描いて描きまくっていましたね。でもやはり戦争が激しくなると、飛行機や軍艦も描いていたせいか、今でも乗り物は描くのは好きだし、鉄道を中心とした乗り物のイラストは専門家に負けないほどの自信はありますよ。

 木村・漫画との出会いは……

 水野・小学生の頃から『のらくろ』や『冒険ダン吉』などは見ていたけれども、それよりもアメリカ兵が持ち込んだ『ジープコミックス』などのアメリカ漫画に魅力を感じていました。絵のタッチや上手さに気を奪われてしまいましたよ。

 木村・それに刺激されて自分でも描き始めたのですか。

 水野・実はそれ以上に児童文学や小説を読むことに夢中になっていたんです。特に宮沢賢治の作品は何度も読み返すたびに、新しい感動が新鮮に蘇ってくるんですよ。今でも大好きです。名作小説と言われる作品のほとんどは、小・中学時代に読んでしまいましたよ。だから将来は漫画家よりも文豪になろうと思っていたんです。……でも漫画は小学五年生頃から描いていましたから、中学生になるとアメリカの世界的な漫画家ソウル・スタインパークが日本に紹介され、サム・コービンの漫画集も文芸春秋社から出版されたので見たら、その新鮮な描写とセンスにショックを受けましたね。…日本の漫画にはないモダンな感覚は僕にとて大変なカルチャショックになりましたよ。でもその頃も相変わらず読書に夢中だったし、外国映画ににも夢中で、多い時は一年間に150本は観ていました。活字中毒、洋画中毒の少年だったね。だから将来漫画家になろうとは考えもしませんでしたよ。(つづく)

 

 

 

(2023年11月22日のFB投稿より)