私が高校3年生のとき、家の屋敷森に、
と言っても、実態は、少々手入れされただけの雑木林だが、
その端に子猫が捨てられていた。
それを家で飼い始めた。
白地に灰色のきれいな縞模様のとら猫だった。
男の子だったので、寅次郎と名付けた。
祖母が、オスの猫は、いずれ居なくなるよと
言っていたからである。
いつか放浪の旅に出るなら、
名前は寅次郎でいいよね、
そんな感じだった。
でも、この寅次郎は、
フーテンの寅さんとは違って
たいへんな働き者だった。
この子がちょっと大きくなってくると、
天井裏は物音一つしなくなった!
野菜や家がかじられることもなくなった。
もちろん、ネズミのフンなんて見当たらない。
食べたのか、追い出したのか分からないが、
とにかく、ネズミはいなくなったのだ!
猫は本当にネズミを退治していたんだ!と
この時はじめて納得した。
私が子供の頃は、こんな感じ⤴ の犬が多かった。
そして、犬と言えば番犬だった。
番をするのが仕事。
だから、どこの家の犬もよく吠えた。
ウチのまわりの年寄りが言うには、
「吠える犬が、いい犬」で
吠えない犬は、ダメな🐕と言われた。
今とは、大違いである。
私が生まれる前には、鶏と猫の他にも、
牛、豚、ヤギなど、家にはいろいろな生き物がいたそうだ。
もちろん、犬も。
いろいろ飼ってみて、
その当時の祖父の判断で
お金になるか、役に立つか、
しかも飼うのに、お金も手間も
少なくて済むものだけが残っているようだった。
「犬は、飼うのにお金がかかる」
祖父に言わせれば、こうだった。
犬の登録と狂犬病予防注射にはお金がいる。
エサもやらなければならない。
祖母は、猫は自分で餌を捕るからよいのだと
言っていた。
(まあ、田舎だからこそ、ですね。)
祖父にとって犬は、たぶん
働きに対して割に合わない動物だったのだ。
世間とは違って、犬が
吠えるのも嫌ったようだ。
「吠えるのは、かなわん」と言っていた。
昔、看板猫がいたとかいう話を聞くと、
お客に向かって吠える犬など
いない方がいいに違いない。
よその犬に出くわすと、祖母は
「手を出したら、だめだよ、かまれるよ。」
といつも言うし、
とにかく、犬というのは、
ほえるし、かむし、
近づいてはいけない動物だった。
飼い主のいうことはよく聞くが、
みんなに怖がられるほど吠えるのが、
犬の仕事だと、祖母は言っていた。
確かに、昔、近所で見た犬は、
そんな感じの犬が多かった。
人が、そういう犬が良いと思うから、
犬がそうなるのか、
もともと犬が、そうだから、人が使うのか。
獣医のK先生は、柴犬は番犬だという。
でも私は、ウチの柴次郎さんに
番犬の仕事を頼んだことはない。
果たして、ウチに来てよかったと
思っているだろうか。