続・さあ、この家をどうしよう・・・大不況でも売れた従兄妹たちの土地 | 犬と暮らせば~大家・ふくや招き猫が 頑固な柴犬&おおらかな大型犬と 心穏やかに暮らす方法

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ワンコは見た目より中身(犬種ごとの特徴)にご注目。悲鳴のような吠え方に、悪食・多飲・多尿の柴犬。ケンカにしか見えないプロレスごっこが大好きで、お薬大嫌いなボーダーコリー。縁あって、家へ来たからには、最後まで力を合わせて、生きて行こうね!
 

叔母が亡くなって数日後、リーマンショックが起きました。

 

世界中が大不況のただ中へまっしぐらという時に

私は壊れかけた家のある土地を相続したのです。

 

夫の実家に通い始めて8年目。

義母のお世話をするのに精一杯だった私は、

降ってわいたような相続話も加わって

世間のことは、まるで目に入っていませんでした。

 

叔母の残した土地は2か所あり、

少し大きい方の土地に叔母の家が建っていました。

 

誰がどの土地を相続するか決めるに際し、私は

小さい方の土地(こちらには築100年位の古家があった)で

いいですと申し出ていました。

 

父方の他の親族の意見とかもいろいろありましたが、

単純に、いとこたちも大きい方を譲られれば

喜んでくれるだろうと思ったのです。

 

7か月後、分割協議が整い、

最終的に私は大きい方を渡されましたが、

なんと、最年長のいとこから土地の評価額の差額を請求され、

それが遺産分割協議書にきっちり計上されていました。

 

税理士さんの説明に驚きましたが、

それより悲しくて胸がちくっとしました。同時に、

自分の甘さを痛感しました。

 

最年長のいとこは私より20歳ほど年上でしたが、

年の功というよりもっと長年の会社人生で培ってきたものが

あったのだと思います。

 

遺産分割協議の間、まだ何も決まっていないので、

私は、たまに皆で叔母の家に集まって

片付けがてら形見分けをしたり、

言われた書類を用意したりするだけでした。

自分が相続するかもしれない土地については、

無為に過ごしたとしか言いようがありません。

 

しかし、件のいとこは、叔母の四十九日が過ぎるとすぐ、

残された土地2か所とも、

それぞれ更地にするのにいくらかかるのか

見積もりを依頼していたのです。

 

分割協議が終わり、土地の名義書き換えが済むと

程なく、いとこたちの土地の整地が始まりました。

 

小さい方の隣りの土地に住んでいた従兄弟は、

兄弟で等分した持ち分である、自宅に接した土地をもらい、

残りの土地は、他のいとこたちで利益を分けるべく

売りに出されました。

 

1年くらいたったころでしょうか。

景気はどん底だというのに、その土地はちゃんと売れ、

翌年には、家の建設が始まりました。

 

まだ何も決まっていないからといって

手をこまねいていることなく、

リサーチし、見積もりを出してもらい、業者を選定して、

自分の持ち分が決まった時には、すぐに作業に取りかかる。

 

その計画性、段取りの良さ、

大きい方をもらえば良いなどと考えず、

キッチリ差額を請求する合理性。

 

年齢も住む場所も離れているので、

ほとんど話したこともなかった従兄弟でしたが、

これには感心しました。

 

それと、あの大不況にもかかわらず、

土地を買い、家を建てる人が実際にいるんだと分かったことは、

少なからず私の人生のささやかな励みになっています。

 

 

衰退は 繁栄の中 はぐくまれ 停滞の中 希望は芽生える

 

だれか外国の有名な実業家だかの言葉だったような・・・

いつか日経新聞で見て、けっこう気に入ってます。 

ググってもハッキリ分かりません。

まだまだ詰めの甘い招き猫です。