いじめを受けた小学校時代・・・
皆様おはようございまーーす。
では、今日は私のこの眼とどうやって今まで、
今現在、お付き合いしているかを書きたいと思います。
幼稚園は通常の幼稚園へ行きました。
またこの手のお話はいずれということで、
なので、健常者にとって、
私の右目が小さいこと、
まだ幼稚園の行き始めは、義眼を装着しておりませんでしたので、
最初の一年間は、
「こいつ眼がないぞ、化けもんやぁ?」
とか、ぼやけじじいとか、
人間と違うぞーなどと、
かなりのイジメにも合いながら、
しかしながら、
なんかどっかあっけらかーんとしている性格で、
両親が、とにかく何を誰に言われても、
おどされても、
ちゃんとあった事はみーんな親に言いなさい。
親はいつでもあなたの味方であるということを、
毎日のように言い続けてくれたため、
それを素直に受け取った私は、
毎日のように、私がひどい目にあわされると、
すぐに先生や親に、
あますところなく言い続けたため(笑)
その度にさらなるひどいイジメにもあい、
体中アザだらけになって泣いて家に帰ったこともありましたが、
それでも言い続けたため、
やがては、イジメっ子達があきれて、
まただんだん、見方してくれる仲間もできてきて、
次第にのびのび楽しく幼稚園生活をすることができていったようです。
またこの手のお話はいずれとしまして、
で、小学校より盲学校で、
大阪でも鍼灸学校でも、
基本的には、
同じ生涯を持った人達と一緒でしたから、
生活の面ではさほど不自由な思いはせずに行けたと思っております。
就職してからも、鍼灸マッサージの職場のオーナーが、
とっても障害者に理解があり、
また、視覚障害者の鍼灸マッサージ師をたくさん雇用してくださっていたこともあり、
まぁ、細かいことはいろーーーいろあったんですが、
今思えば、基本的な概念として、
仕事面でもとっても優遇されていたと思います。
今日はここまで、
次回は生活面での事を書いてみたいと思います。
ではまたでーす。