地震のさなかに僕が思ったことは。。。
皆様おはようございまーす。
昨日はちょっとスピリチュアル的な、
宗教ともとれそうな事を書きましたが、
何度も申し上げておりますが、
私は、その手のことを、
今はあえて追及、探求しているわけではなく、
あくまで、今私が自然に思い、感じたことを、
ただ申し上げているにすぎません。
そして、私の生涯において、
永遠に忘れることのない、
1995年1月17日の朝5時45分、
実際、私が阪神大震災を、
神戸の赤石で体感した時、
幸い、被害こそ少なかったものの、
震源地のすぐそばでの大きな地震体感!
当時23才の私は、
大きな揺れが来て、
部屋から次々と、物がどんどん降ってくる状態に、
ただただまどわされるがごとく、
寄宿舎の廊下にはい出ることがやっとで、
廊下の柱にとにかくしがみつき、
体が宙に舞い上がって、
この柱から、手を離したらどうなってしまうのか?
柱が損壊したらどうなってしまうのか?
後ろのガラス窓が次々とバリバリと音を立てて壊れていく中、
私の後ろのガラスがそうなったら、どうなってしまうの??
まだやりたい事があるのに、
死にたくないよ、ここで終わってたまるか?
いやだいやだ、
私だけが助かればいい、
自分だけはけがしたくない、
死にたくないよーー。
やがて地震はおさまり、
私のすぐ後ろのガラス窓は、
ひびは入ったものの、割れることはなく、
かすり傷程度で、
体ごと床に落ちたのでした。
あの大揺れの中で、
私がとっさに考えていたことは、
こんな事ばかりで、
家族はおろか、
一緒にいる仲間達は?
なーんて、そんなことこれっぽっちも考えることなく、
地震が止まってから、
数分たったころに、
やっとその場から動けるようになって、
そこではじめて友人の事や家族のことを考えはじめたというのが、
正直な当時の私の心でした。
でも、そんな私を、
当時は時が過ぎてから、
あれだけ両親や弟達の愛情を知り、受けてきて、
たくさんの友人や先輩や仲間に支えられてここまで来たのに、
それを、当時まだ今より若輩ながらも、
感じていたはずであろうに、
言葉にしていたであろうに、
あれはみんな嘘だったのか?
自分ってなんてやつなんだ、
いざ、これでもう死ぬかもしれないって極限になれば、
所詮は自分の事しか、いざとなったら考えないんだなって、
その程度の人間なんだ、自分は??
何が友情で、
何が愛で、
そんなの絶対キレイ事じゃないか??
そういうふうに思ったりした時期もあったけど、
ちょっとあれから時を経て、
今はただ素直に、率直に、
それでいいのでは?って思います。
それが人間ではないのか?
それを心から認める思いは、
決して冷酷ではないって、
そう信じ、思っています。
ただ、ひとつだけ?
それを認めるにあたり、
あの頃とは違う思いがあります。
やっていきたいこと、
いえいえ、
やらなければ
実践していかなければならないことがあるように思えるのです。
それは???
今、私が突然、こうやって文章を書いている時に、
死という現実を目の当たりにするような事がおきたなら、??
またあしたへ続く。。。
昨日はちょっとスピリチュアル的な、
宗教ともとれそうな事を書きましたが、
何度も申し上げておりますが、
私は、その手のことを、
今はあえて追及、探求しているわけではなく、
あくまで、今私が自然に思い、感じたことを、
ただ申し上げているにすぎません。
そして、私の生涯において、
永遠に忘れることのない、
1995年1月17日の朝5時45分、
実際、私が阪神大震災を、
神戸の赤石で体感した時、
幸い、被害こそ少なかったものの、
震源地のすぐそばでの大きな地震体感!
当時23才の私は、
大きな揺れが来て、
部屋から次々と、物がどんどん降ってくる状態に、
ただただまどわされるがごとく、
寄宿舎の廊下にはい出ることがやっとで、
廊下の柱にとにかくしがみつき、
体が宙に舞い上がって、
この柱から、手を離したらどうなってしまうのか?
柱が損壊したらどうなってしまうのか?
後ろのガラス窓が次々とバリバリと音を立てて壊れていく中、
私の後ろのガラスがそうなったら、どうなってしまうの??
まだやりたい事があるのに、
死にたくないよ、ここで終わってたまるか?
いやだいやだ、
私だけが助かればいい、
自分だけはけがしたくない、
死にたくないよーー。
やがて地震はおさまり、
私のすぐ後ろのガラス窓は、
ひびは入ったものの、割れることはなく、
かすり傷程度で、
体ごと床に落ちたのでした。
あの大揺れの中で、
私がとっさに考えていたことは、
こんな事ばかりで、
家族はおろか、
一緒にいる仲間達は?
なーんて、そんなことこれっぽっちも考えることなく、
地震が止まってから、
数分たったころに、
やっとその場から動けるようになって、
そこではじめて友人の事や家族のことを考えはじめたというのが、
正直な当時の私の心でした。
でも、そんな私を、
当時は時が過ぎてから、
あれだけ両親や弟達の愛情を知り、受けてきて、
たくさんの友人や先輩や仲間に支えられてここまで来たのに、
それを、当時まだ今より若輩ながらも、
感じていたはずであろうに、
言葉にしていたであろうに、
あれはみんな嘘だったのか?
自分ってなんてやつなんだ、
いざ、これでもう死ぬかもしれないって極限になれば、
所詮は自分の事しか、いざとなったら考えないんだなって、
その程度の人間なんだ、自分は??
何が友情で、
何が愛で、
そんなの絶対キレイ事じゃないか??
そういうふうに思ったりした時期もあったけど、
ちょっとあれから時を経て、
今はただ素直に、率直に、
それでいいのでは?って思います。
それが人間ではないのか?
それを心から認める思いは、
決して冷酷ではないって、
そう信じ、思っています。
ただ、ひとつだけ?
それを認めるにあたり、
あの頃とは違う思いがあります。
やっていきたいこと、
いえいえ、
やらなければ
実践していかなければならないことがあるように思えるのです。
それは???
今、私が突然、こうやって文章を書いている時に、
死という現実を目の当たりにするような事がおきたなら、??
またあしたへ続く。。。