少し前のこと。
ある講座に勉強に出かけた帰り、駐車場まで歩く道のりで、受講されていた先生と会話を交わしました。
どこからいらしたのですか?
というような、初対面らしき会話に紛れて
ブログやFacebookはされていますか?
と言う話になりました。
こうしてブログを書いていてなんですが、未だ顔も名前も出していませんので、
どう答えようかな…
と一瞬の間に思考を巡らせました。
嘘を言うのも良心が咎め、名前は公にしていないけれどもブログは書いていることを伝えました。
するとご覧になって頂けていた先生で、私が直ぐ繋がりビックリしました。
なぜこの出来事を書いているかと言うと、その時、
どうしてブログを書いているか
尋ねられたこと、その時の答えがやっぱりそうだなと今日思えたから。
ピアノ教室の告知、集客のため
それもあれば有難いです。
…にしてはアピールが薄いことは承知。
教室の生徒さんには公にしています。
普段なかなかお家の方とお話できる時間がないので、私がどんな人間かどんなレッスンをしているのか知って頂いた方がいいのかなという気持ちから。
あの時、何気に私の口から
「私が死んだ後、自分の子ども達が私がこんな風に生きてたって知ってくれたらいいなぁと思って…」
というような言葉を発したような気がします。
私が死んだら…に、そんな…と優しく笑みを浮かべて耳を傾けて下さっていました。



発表会の自己紹介に

永遠の30歳(笑)←20歳にしていないところがちょっと謙虚でしょ?(笑)

42年
と書いたワタシ。
既にここでつじつまが合っていないと突っ込みを受けました

今日、銀婚式を迎えました

いくつなんだ⁉️ですね(笑)
子どもが泣くとどうして泣いているのか分からなくて一緒に泣いていたくらい結婚が早かったです。←ナンダソレ

25年てすごいな。。。
10年は、いや同居していた義母を送る19年までは無我夢中の歳月でした。
知らない土地
違った生活環境に慣れ
地域にふれ
三人の子育て
日々の生活に追われ、それは長かったような気もするし、あっという間に過ぎて行ったようにも思います。
歴史は繰り返す
私が高校二年の時、45歳で父は亡くなりました。
主人が45歳になるのが怖かった…
主人も高校二年の時、49歳で父を亡くしています。
主人が49歳になるのが怖かった…
どちらも越え、主人が50歳になれた時、本当に嬉しかった。
その時、主人を支えて下さっている職場の方達にもお祝いのケーキを貰ってもらいました。
子ども達のことはあまり心配していません。
ちゃんと生きていけると思っています。
なぜなら、この頼りないお母さんの私よりはしっかりしていると思うから。
でも、主人よりは1日だけ長生きしたいと思っています。
ひとりの姿を想像すると可哀想過ぎて、その役は私が請け負った方がいいと思います。1日だけでいいけれど。
お互い早くに父は亡くしているけれども、家族が仲良く、健康で、今こうして地域の子ども達に囲まれて、周りの人にも恵まれて過ごせていることがとても幸せだと思っています。感謝

次は金婚式を目指そう

仕事でお世話になっている方からサプライズでお祝いをいただきました
