今日は感じていることのつぶやきです。
自分が小学一年生の時に使っていた音楽の教科書なんて覚えていませんね。
三人子どもがいますが、子ども達の音楽の教科書もマジマジとなんて見ていませんでした。
数年前、産休でお休みされていた小学校の先生お二人とご縁を頂きました。
お休みしている間に、子ども達と歌う教科書の曲をコードで伴奏が出来るようになりたいとのことでした。
直ぐに一年生から六年生までの教科書を取り寄せ、指導法を練りました。
その当時のことを書いた記事です。
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その時の視点は伴奏づけにありました。
お二人とそれぞれ、6年分ほぼ全曲
伴奏づけしました。

時は流れ、昨年少し遠ざけていたエレクトーンの生徒さんをお受けしました。
ピアノのテキストは選択に迷う程に溢れているのに、会員に入らずに一般の人が自由に購入できる初心者向けのエレクトーン教材が無く壁にぶつかりました。
あの手この手と考えてスタートしながら、並行して、エレクトーン演奏に不可欠な様々な楽器のこと、リズムのこと、音楽のジャンルのことも伝えて行けるように考えを巡らせていました。
ふと、学生時代『器楽の本』があったような記憶が蘇ってきて、家にあった子ども達の教科書や、伴奏づけの為に購入していた小学校の教科書を開きました。
今度は視点が違い、使える素材を求めて…。前は曲を見ていましたが、今度はそれ以外の部分です。
驚きです







材料は溢れかえっていました。
私が探していた物も沢山見つかりましたが、それ以外にもピアノの導入に通ずる内容がいっぱいでした

音楽の教科書を使って授業を受けていればかなり鍵盤が弾けちゃうな~というくらいです。


最初はプレリーディング。
次は5線も下の2線だけが出てきます。
恐るべし音楽の教科書



私はスタートがエレクトーンで、ピアノはいきなり受験に向けての曲から入ったので、講師になり本当にもがきました。
世間のピアノをやっている人が、どうやって積み上げて力をつけているのか、テキストの順番も何も分からない。
楽器店では研修を受け、決まった教材を使います。個人でやるようになり、本を読んだり、教材は楽譜屋さんのように導入期の物も沢山購入し、片っ端から見たり弾いたりしました。
当時、バイエルの上巻をどうしても受け入れられなくて、違う教材を探しました。
沢山の子ども達とレッスンを重ね、経験から学ぶことがとても肥やしになりました。
実践から得た物、セミナーに足を運んで得た知識、ネットの普及により得られるようになった全国の先生方の情報や指導法からの学び。
例えば曲の初めの指の準備ひとつをとっても、5指を定位置に置いたまま弾く練習から始まっていることに気付くのにどれだけの歳月をかけてたどり着いたか。
やっとです。誰もそんなこと教えてくれなかった。今なら考えられないけど。
それがバスティンで言うポジションというもので、新版のオルガンピアノにもポジションという表現が使われるようになりました。
それからバイエルを見てみると、上巻にはちゃんとポジションの練習。
そして、5指を独立させるためのバーナムやハノンの要素も散りばめられ、先生との連弾の多くの経験から等速感や聴く耳を養っていることに気付きました。
バイエルは古い…いえいえ、素晴らしい教材だと再認識しました。
そんなこんなも、知ることで、他のテキストにも応用が出来るようになり、押さえなくてはいけないポイントも自分なりに意志が持てるようになってきました。
今になり思うのは、学生時代の自分のスランプの原因は、運指と姿勢、手の形、その大事な基礎の部分が欠けてたことに起因していたということ。
自分のような遠まわりをしない為にも、子ども達には導入期を大切に育みたいと強く意識しています。
まだまだです。
ひよっ子です。
ここを選んで来て下さった生徒さん達に、もっともっと力をつけてあげられるように、これからもずっと勉強を続けていきたいと思っています。
今年の目標のひとつ。
『始動』です。
先に叶えたい目標があります。
これから動き始めます

つぶやきおしまい
