先日、自転車と車の衝突事故を起こした。
保育園に行き、そのあと仕事に出勤するので私は急いでいた。
私と娘は無事であった。
そのことで、夫の発言について私が思ったことを書こう。
これは夫が悪いとかそういう話ではなくて、むしろ今の日本の社会、子育てに関する状況をよく表しているのではないかと思った。
夫は私の不注意だとか、私がおっちょこちょいだとか、私がまたやるだろうとか、そういったふうに冗談めかして言った。
まぁもう無事に終わったからこそ言える冗談のつもりで言ったのだろう。
しかし私はふと考えた。
確かにおっちょこちょいのせいもあるだろう。
またやってしまうかもしれない。
だけれど、だけれどもである。
そもそも何でそんなに急いでいたのか?
どうしておっちょこちょいになってしまうほど、余裕がなかったのか。
それは朝保育園に子供を送り、その後仕事に間に合うように出勤するために急いでいたのである。
ただ私がおっちょこちょいなだけではなく、余裕のない朝のスケジュールにあるのではないだろうか。
そしてそんなこと言う夫は、何か改善するために具体的な行動を起こしたのだろうかと思った。
全面的に私のミスのように言うのだが、そもそものこの朝の仕組みにおいて、何か解決になるような具体的行動を起こしたのであろうか。
その部分がとても引っかかった。
そこに当事者意識の薄れを感じた。
保育園に子供を送るのは妻の仕事だと。
何の疑いもなしにそう思っているのだ。
私から言わせてもらえば、こんな事は絶対に言いたくないし本人にも言った事は無いのだが。
どうしてそこまでしてパートに出なければいけないのだろうか?
1人の給料では明らかに生活費がマイナスになるであろう今の生活に対して視点は向かないのか。
この住宅ローンと車の維持費が生活費を底上げしているのではないだろうか。
といった細々とした思いがこみ上げてくる。
パートに出ているのは生活費の足しにするためである。
今の生活レベルを落とすつもりはない、と以前夫は言っていた。
車のレベルを下げるのもいや。
だったらお金を稼ぎ続けるしかない。
1人の生活費で生きていく、それなら固定費の大枠を占める住宅ローンの削減、今乗っている車のレベルを下げる、つまり生活レベルを全体的に落とす。
そこには視点がゆかず、ただ私の性格と行動のミスに起因するといった夫に対して不信感が募る。
どうしてこの問題は私だけの問題なのだろうかと。
親でさえ私と娘の体を心配していたのに、あなたが発する言葉はどこか私がおっちょこちょいだと示す。
右足を打って痛い痛いと言って病院に行ったが、大した事はなく、先生もまぁ大丈夫だろうといった感じで念のためにレントゲンを撮った。
やはり何もなかった。
じゃあそれで良いでは無いだろうか。
それがわかってよかったじゃないか。
それなのに大したことないのに大げさだと言い放った夫。
今後、どうしたらそのような事故に見舞われずに過ごせるのか。
朝の慌ただしい時間帯を余裕を持って少しでも安全に過ごすために、どうやったらいいのか。
洗濯を担当するのか保育園の送り迎えをするのか、ご飯を用意するのか。
具体的な何かしらのアクションを1つでも考えたのだろうか。
全面的に育児を妻に丸投げしている発言に対して疑問が湧く。
実際このような家庭は今の日本において多いのかもしれない。
核家族が多い中、こうやって妻に丸投げされていることが多々ある。
かといって専業主婦で暮らせるような状況でもない家庭も、実際は多いのではないだろうか。
するとパートに出て保育園にも行かせて家事もやって…
あらゆる役割を女性側が担うことが多い。
だんだんと当事者意識が薄れていく問題がある。
夫の一つの発言から着想的に考えて、これこそが今の日本の社会を表しているのかもしれないなと感じた。