3月24日は りんの月命日でしたが
「牧野信一」の命日 マキノ忌でした
大正・昭和期の小説家
私小説・幻想小説家と呼ばれているらしい
知っている方もおられると思いますが
牧野信一は 祖父の兄なんです
私小説家
確かに 自分の家の事を書いていますが
どこまでが本当でどこまでが嘘なのかって
そう思ってしまう
でも 彼が書いたおかげで
先祖の事を知ることができているので
とてもありがたいと感謝
この信一の写真は
小田原の生家で撮ったものですが
叔母が赤子の頃の写真を見ると
庭で撮った写真に
同じ池に架かる橋が写っています
これは 祖父が自力で
庭に作った池なんだそうです
叔母が子供の頃 弟たちと走り回り
しょっちゅう落っこちていたと・・・
叔母が成人になるころには
池の半分を埋めて
誰も落ちないように手すりまで付いています
私の知るこの家の池は この池
この家の隣に私の生まれた家がありました
私もこの池の周りでよく遊んだ
叔母が幼き日を思い出して描いたにも
大きな池と橋が描かれています
信一は この池の端にある石の椅子に
腰かけて写真を撮ったのでしょう
この小田原の家に最後に暮らしていた祖父
この家を処分した際に
片付けたと思われる手紙が
先日 叔父の家の納戸から見つかりました
信一が母親あてに出した手紙
手紙の内容は
妻・せつと別居し五反田で
息子と二人で生活を始めた
原稿のお金が入る予定だが
物入りなのでお金を送ってほしい
新しい着物も欲しい
と お金の無心
父親はすでに亡くなっているので
母親の稼ぎだけが家を支えていたのに ね
この手紙の字を見て
祖父の書いた字に似ていると思って
写真を漁ってみると・・・
やっぱり似ている
やっぱり兄弟
私の父も同じような感じの字を
書いていたような気もする
信一がお金に困って実家に生活費を
助けてもらっていたとは知っていましたが
実際に文字で書かれているのを見ると
なんだかなぁ~ と思ってしまう
当時の小説家って
そんなものなのかもしれないですよね
100円って
きっとものすごい額だと調べてみると・・・
コーヒー1杯が10銭の頃
昭和初期の頃の公務員の初任給が75円
学校の先生をしていた
信一の母親の月給分くらいを
無心しているのですから・・・
最期はこの小田原の生家で縊死自殺
信一が亡くなって来年で90年
39歳という短い一生
もっと頑張って生きていてほしかった
会ってみたかったなぁ
今日は昨日よりも暑くなるらしいですね
叔母の家に話し相手に出掛けてきます
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