前に、北九州の100名城を巡った時に、一つだけ行き損ねていた
名護屋城。
当時はあまり歴史に詳しくなくて、
名護屋城ってなんにも残ってないんだよな・・・。
近くにある、唐津城の方が天守があって面白そう。っと思っていました。
名護屋城は、秀吉が朝鮮出兵のために建てたお城で、
秀吉い死んだ後、関ヶ原の大戦後に、名護屋城を解体してその遺材で唐津城が
作られたと言われているし。
そう思っていました。
秀吉に朝鮮出兵に行かされた、加藤清正や、小西行長の話を読んだり、
大河ドラマの「黒田官兵衛」や「真田丸」にも、朝鮮出兵の話ちょっとだけ出てきたかな。
朝鮮出兵やるのかな~と思ったら、帰ってきたところに話が飛んでたような気がするけど。
今回、唐津城と名護屋城の両方をはしごできてよかった~。
まずは、名護屋城博物館いってお勉強。
名護屋城のジオラマです。
すごくりっぱですね。
当時、秀吉が一番力を持っている頃に作ったお城ですものね!
日本を統一し、有名大名たちを家臣にしてお金と、人員を出させたんでしょうね。
さて、いざ名護屋城へ!
まずは、大手口前井戸。
フォトスポットですね。
こ・・・・ここがフォトスポット。
ここで来城記念の写真を撮るんですかね・・・。
やっぱり、ジオラマで見たとおり、広いです。
本丸を目指したらいいのかな?
名護屋城は実質廃城になったけど、石垣は当時のまま残ってるんですよね。
どこのお城も同じなんでしょうけど、
秀吉のために作られて、死んだら放置。って、すごくリアルな歴史を感じます。
あまり勾配がないので、
登るのが比較的楽だったかな?
でも暑いのでちょっと疲れた~。
石垣はちょっと低めですね。
でも、この石垣が秀吉の時代のものだと思うとジーンときました。
名護屋城本丸に到着です。
ココが本丸すがすがしい!
名護屋城址の碑が立派です。
海の向こうに挑戦半島があるんですね。
こちらの丸い碑には
「太閤が睨みし海の霞かな」
という青木月斗という俳人の歌が書かれています。
太閤はもちろん秀吉の事です。
この句をみたら
ぼわっーーーーっと太閤秀吉の姿がよみがえるようでした。
ここに、この俳句を書いた碑があるのとないのでは
臨場感が違う。
↑私の頭の中にはこんな姿が見えちゃいました。
(大阪城の豊国神社の秀吉さんです)
ここで俳句を詠んだ月斗さんすばらしい!
そして、ここにこの碑を建ててくれた月斗の同人の方たちに感謝です。
名護屋城跡並びに陣跡
直江兼続陣跡
真田昌幸陣跡
上杉景勝陣跡
島津義久陣跡
ざっと見ただけで、知っている名前がいっぱい。
足利義昭の陣跡まであります。
対馬は、見えなかったけど。
名護屋城。
こんなに感動すると思わなかった。
歴史を感じるお城としては、
鳥取城以来かな。
名護屋城が100名城に選ばれた意味がよくわかりました。
名護屋城に行ったあとは
呼子でイカを食べようと思っていましたが、
呼子の町で駐車場が混んでいたので、あきらめでしまいました。
お昼は、
海鮮炭火焼きのお店に行きました。
もちろん、イカは食べました(^^)/
唐津を後にして、
福岡駅に向かいます。
次の日の目的地は、大宰府天満宮。
続く。