突然ですが、

 

 

私の父は英語が得意です。

(本当にいきなり何?という感じですが)

 

 

会話(カジュアルでもフォーマルでも)、

文法(日本の受験英語のようなのも)、

リスニング(ニュース、討論、お笑いなんでも)

リーディング(新聞、小説、契約書etc)、

ライティング(ビジネス英語、論文etc)

 

など

 

とにかく英語なら全般なんでもOK。

 

 

私なんて足元にも及ばないくらい

父の英語力は高いです。

 

 

退職後は日本やアメリカで

英語教師(たまに日本語教師も)

のバイトなんかもしていました。

 

 

私のような40~50代を

子どもに持つ世代で

父のような人は珍しいと思います。

 

 

終戦の年に生まれた父は

高校生で国の制度を利用して

アメリカに留学。

 

 

その制度は今ではお金を

払えば留学ができるそうなのですが、

 

当時は何回もある試験に

全て合格しなければ行くことが

できなかったのだとか。

 

 

狭き門をくぐり抜けて

アメリカに留学すると、

 

 

当時のアメリカ大統領に

挨拶をする機会が設けられ

握手をしたり、

 

ホームステイ中(田舎の町)は

教科書に出てくるような

黒人差別を目の当たりにしたりと

 

様々な体験をした父。

 

 

留学前からずっと英語を勉強してきて、

 

帰国後大学に入ってからも

社会人になってからも勉強し続け

英検一級はもちろん、

 

就職した会社独自の「特級」

なるものにも合格したそうです。

 

 

姉が幼い頃旅行でアメリカに行く

フライトの中でキャビンアテンダントの

ミスによりタイツを履いた姉の足に

熱湯を掛けられた時は

 

空港に到着後、救急車で病院へ直行し

治療が終わると直ぐにクレームレターを

自分で書いて航空会社へ送り治療費を

負担してもらうことができたそうです。

 

 

幸い姉の足に傷や後遺症が

残ることはなかったのですが、

 

 

英語が出来なかったら

姉が大やけどを負わされた上

高い病院代まで払うことに

なって泣き寝入りしていたかも

知れないところでした。

 

 

父はあの時は英語を勉強して

本当に良かったと思ったと

言っていました。

 

 

他にも転勤でロスに滞在中、

アメリカ人秘書のビジネスレターを

父が添削したり、

 

 

私が長女を連れてロスに滞在中

知人の不幸でお悔やみのカードを

送る時にも

 

私が自分で書いた英文メッセージを

父に手直ししてもらったりもしました。

 

 

ちなみにこの時21時で

父はワインを何杯か飲み

ソファでテレビ見ながら

寝かけていたのですがあせる

 

 

声を掛けたらちゃちゃっと

やってくれましたキョロキョロ

 

 

数年前には自力で勉強して

不動産とか公証人とかあともう一つ

何か資格(全てアメリカの)を

取得しています。

 

 

もう何十年も毎日英字新聞や

英語の小説を読んでいて

 

分からない単語があれば

都度調べて覚えているそうです。

 

 

新聞なんかは今でも分からない

単語が毎日一つや二つ出てくるよー

 

と言っていました。

 

 

そんな父は私達兄妹にも

英語を習得してほしいと

考えていました。

 

 

一度目の転勤は80年代前半の

アメリカ東海岸で日本人が

ほぼいない地域。

 

 

当時姉は小学校高学年、

兄は小学一年生、私は2歳。

 

姉と兄は現地校へ通い、

 

学校では兄と姉しか日本人が

いない状況でどんどん英語が

上達したようです。

 

 

4年で帰国したのち、

 

 

姉は高校→短大を日本で、

そのまま短大の単位を使い

カルフォルニアの大学へ編入。

 

 

兄は小学校高学年で帰国し

そのまま小学校→中学校と

日本の学校を卒業したあと

 

高校からアメリカ東海岸の

学校(寮)へ留学しました。

 

 

その間にまた父のロス転勤で

兄は家の近くの私立高校へ転校、

 

卒業後はコミュニティカレッジを

経由して大学に編入しました。

 

 

姉も兄もそのままロスに

住んで今は家庭も持っています。

 

 

一方で、

 

 

一度目の転勤から帰国後は

私だけ英語が全く分からない状態もやもや

 

 

以前にブログでも書きましたが

帰国前は日本語があまり

分からないくらい完全に

英語が母語だったのですが、

 

小学一年生で帰国して

すぐに母語が日本語に

切り替わりました。

 

 

父としては私にもどうにか

また英語を習得して欲しい。

 

 

父が当時勤めていた会社から

二度目のアメリカ転勤の話を受けた時、

 

あと数年待てばもっと良い

(多分業務内容が魅力的という意味で)

転勤の機会があると言われましたが、

 

私がもう中学入学を控えていて

数年待つと私は高校生、

 

英語を学ぶのがどんどん

遅くなってしまうと考え

そのまま受けたそうです。

 

 

親って本当に有難いですね、

 

父には感謝しています。

 

一緒について行くと決めた母にも。

 

 

ただ当時は私が英語嫌いと

白人が苦手になるという

ちょっと残念な結果になって

しまうのですが・・・

 

(父にしてみたらちょっとどころか

地球の裏側に行くぐらい凹みますよね)。

 

 

詳しくはこちら↓

 

 

 

そんな私なので、

 

父から英語のことで

褒められたことは

ほとんどありませんでした。

 

 

とくにダメ出しを受けた

ワケでもないのですが、

 

たまに

「もっと現地の友達を作った方がいい」

(↑でも英語が完璧じゃないと

学校のみんな私を避けるしえー

と言われたりしました。

 

 

とにかくもっともっと私の英語を

上達させたいという父の思いが

ひしひしと伝わってきました。

 

 

英語が原作の小説を和訳版で

読んでいたら

 

「英語で読まないとだめだ」

とか言われたり。

 

 

他の子には褒めて伸ばすのに

自分の子供には厳しめショック

 

 

だから父の前ではあまり

英語を話したくない。

 

 

なんかテストされている

気分になってしまうんですちょっと不満

 

 

しかし、

 

 

しかしですよ!!

 

 

そんな父から私の英語について

唯一褒められたことがあったんです。

(やっと本題!笑)

 

 

それは

 

 

オーストラリア英語!(爆笑)

 

 

主にリスニングスキルですね。

 

 

オーストラリアで出産したあと、

両親が娘に会いに来てくれました。

 

 

そこで父、オージー英語に

すんごい苦戦してたんです。

 

 

話すのは問題ありませんが、

聞き取りがとにかくひどかった!笑

 

 

How, What, Where, Why, Whichを

聞かれているのに"Yes"とか"No"

とかで答えていて、

 

 

私が通訳に入るという

ミラクルな事態に。笑

 

 

私が夫やお店の人と

普通に話しているのを聞いて、

 

 

「いやあ~マナティ、すごいなあ!!」

 

「オーストラリア英語を聞いて

あんなにちゃんと受け答えして!!」

 

「本当にすごいよ!」

 

「よく理解できるなあ!

 

お父さんみんなが何を言っているか

全然分からないよ!!」

 

 

とまさかのベタ褒め!!!

 

 

初めて父に英語のことで

こんなに称賛されました爆笑

 

 

息子が生まれた際に

来てくれた時は

 

直後にコロナ禍に入り

復路のフライトが

キャンセルになったりしたので

 

両親のビザのことでちょっとした

手続きが必要だったのですが、

 

書類を読んでも何故か私頼り。

 

 

しかも私にもそんなに難しい

内容ではないやつ。

 

 

父、英語のビザ書類を読むくらい

なんてことないはずなのに。

 

 

私も育児で疲れていたので

 

「お父さんも自分のことなんだから

自分でもちゃんと読んでやってよ!」

 

とイライラして言った時は

 

「いや、そうなんだけど、

 

オーストラリアで使う

英語の表現とか単語が

違うから読んでも

イマイチ分かり難くてタラー

 

と。

 

 

まあ、当時父もすでに70代半ばで

もうそこまで頑張って理解しようと

いう気力もなかったのかも。

 

 

こんな書類にもオーストアリア色が

出ていたんだとちょっと笑ってしまった一方、

 

 

私はその時ママママで大変だった

2歳の娘を見ながら息子のお世話も

あったりで

 

夜は疲れた体にムチ打って

あくびをしながら洗濯物をたたんでたら

 

 

お父さんソファに座って

携帯でゲームやってんじゃんムキー

 

 

とイラ。

 

 

料理をしてくれるわけでもなく

ご飯の後片付けもしてくれる

わけでもないから私より時間は

100倍くらいあったし。

 

 

ワイン片手にチーズとディップを

つまんでる暇があったら自分で

書類読んでくれムカムカ

 

 

と産後のホルモンバランスも相まって

スーパーイライラしていました。

 

 

余談ですが父は亭主関白を

絵に描いたような人です

(ちなみに九州男児)。

 

 

はっきりものをいう母のお陰で

だいぶ丸くなってきてはいますけど。

 

 

 

とにかく私の人生で父が英語に

手こずっている姿を見るとは

夢にも思いませんでした。

 

 

ましてや私が褒められるなんて!

 

 

人生、何が起こるか分からない泣き笑い

 

 

父はずーっとアメリカ英語を

勉強してきた人。

 

 

南部訛りがあっても

歯が抜けたおばあちゃんが

しゃべる英語でも、

 

アメリカ英語だったら大丈夫。

 

 

多分イギリス英語あたりも

(といってもこれにも地域によって

訛りがあるのでここではニュースや

BBCで聞くようなイギリス英語と

しておきます)大丈夫だと思います。

 

 

でもアメリカにいると

オーストラリア英語を聞く機会は

ほぼないので

 

こっちに滞在中は大げさでなく

本当にガチで苦戦していました。

 

 

私も最初はオージー英語が

全然分からなったので

これはもう慣れですよね。

 

 

移住した時はすでに30代後半、

 

そこからでもちゃんと耳が

慣れてくれるものなんですね~。

 

 

それでもたまにアメリカ英語を

聞くとすーーーぅっと耳から

脳みそへ超なめらかに入ってくる

感覚はあります。

 

 

これはオージー英語では

起こらない現象。笑

 

 

 

父も戸惑うオージー英語、

 

 

手ごわいです昇天

 

 

 

 

先日義母が息子を預かってくれた時の写真。

 

 

グランマと沢山イチゴを収穫いちごいちごいちごいちごいちご

ここから玄関まで10メートルくらいですが

着くころには全部平らげていたそうです汗

 

 

 

これは牛に庭で大きくなりすぎた

ズッキーニをあげるところ。

 

 

切ったズッキーニを自分で

袋から出そうとしています。

 

 

 

この間大雨が降りながら晴れたので

我が家からダブルレインボーが見えました虹虹キラキラキラキラ

 

 

虹の内側、空の色が違う??

 

 

興奮した息子を片手に抱っこしながら

撮ったので写真が斜めになった笑い泣き

 

(そして電線がちょっと残念あせる

 

 

娘も息子も大興奮でした照れ