以前に娘の日本語についての記事を

書いた時、私が幼少期に海外に住んで

いた頃の日本語と英語について書いた

ことがあります。

 

 

実はあれから続きがあって、

 

父が再び転勤となり

 

中学1年生で

またアメリカに行きました。

 

 

一回目の転勤ではほぼ英語しか

分からなくなっていたのに、

 

この時はぜんぜん英語が

わかならくてほんっとうに大変でした。

 

 

小学一年生で帰国してから全く

英語に触れていなくて母国語は

完全に日本語。

 

 

なんせ、"the"も読めず・・・

 

 

でも毎日英語で宿題がでる。

 

 

English(国語)、社会、理科、数学。

 

転校すると先ずは国語と社会は

ESL(English as a Second Language)の

クラスに入れられました。

 

いきなりネイティブの子達(Regular)と

一緒に読み書きしたりとか

歴史を学ぶのはさすがに厳しいので

 

ESLで少しずつ英語力を鍛えられて

レギュラークラスに行っても大丈夫と

判断されれば移ります。

 

平均で大体2~3年くらいかかるのかな?

 

 

国語では本をひたすら読まされ、

 

"did"とか"done"とかよく出てくるけど

意味が解りませんでした。

 

社会では"Leonardo Davinci"

(レオナルドダヴィンチ)とか

"Lake Superior"(スペリオル湖)

とか

 

ネイティブの英語にしたら日本語と

違う風に聞こえるものもたくさん

でてきました。

 

理科の教科書には

"photosynthesis"(光合成)とか

"pancreas"(膵臓)とかとにかく

暗記するしかないような言葉も

色々でてきます。

 

そして"male"(雄)"female"(雌)

が分からずカエルの解剖の実験で

ペアを組んだ学生があきれて教師に

 

「ペアを組みなおしてください!

だってあの子、雄雌も分からないんですよ!

まともに実験なんてできません!!」

 

と抗議をしていました

(言ってる内容は全部は

分からなかったけど

なんとなく分かりました)。

 

 

他にも英語を話せない私と

ペアを組むと足手まといだからか

あからさまに嫌な顔をされたり

 

すんごい上から見られたり

したこともあります。

 

中学生ってこういうところが

本当に残酷ですよね。

 

 

そういう私もやっぱり年頃なので

自分に自信がなくなっていちいち

傷ついてました。

 

日本にいた時は、

 

友達もたくさんいてみんな仲が良くて

わいわい楽しく過ごしていたのに。

 

なんで毎日こんなに辛い思いを

しているんだろう・・・

 

学校に行きたくない・・・

 

英語が怖い・・・

 

と毎日考えていました。

 

毎週金曜日なんて

 

やりきった!!

 

という気持ちでいっぱいでした。


 

 

転校から数日後、数学の先生に

"Do you understand this?"と言われ、

 

その"understand"が分からず

何も答えられずにいたらすんごい

イラついた溜息をつかれたのは

今でも忘れません真顔

 

 

でもどの教科も宿題を

やらないわけにはいかないし、

 

英語が出来ないと学校生活も

不便なので毎日頑張りました。

 

 

毎日毎日ひたすら辞書を引いて

必死に宿題・課題をこなしていました。

 

 

今みたいにネットで調べられるとか

ないので普通にページをめくりながら。

 

英語を聞いても何を言っているか

全く分からなかったけど、

 

アメリカに行って一年後くらいには

だいぶ慣れてきて、たまに辞書を

引きつつ毎日の宿題はささっと

出来るようにまでなりました。

 

 

ある程度大きくなってから海外に行くと、

日本人ばかりと付き合っている場合

 

 

ほとんど英語を覚えずに

帰る生徒もけっこういます。

 

 

私の通っていた学校にも小学五年生から

高校一年生まで転勤で来ていた生徒が

いましたが、ずっと日本人の友達といて

全く英語を話せないまま帰国していきました。

 

 

でもリスニングは問題ない感じでしたよ。

 

 

そして、私も知ったのが高校生活後半に

入った頃だったのですが、

 

こういう生徒がいた為に学校では

日本語アレルギーがあったらしく

 

ちょっとでも日本語を話そうものなら

みんな避けていたみたいです。

 

 

 

どーりで全然友達が

できなかったんだ!!(笑)

 

 

 

やっと腑に落ちました。

 

だって本当に誰も友達になって

くれないんだもん笑い泣き

 

あ、ここで言っているのは

ネイティブの生徒のことです。

 

ESLには友達がいっぱいいましたよ。

 

 

 

ネイティブの生徒というと

 

少しでも私の話す英語が

ネイティブじゃないと感じ取ったら

 

さーっと引いていく印象は

確かにありました。

 

 

だから

 

いつも完璧に話さなきゃ

私は認めて貰えないんだ!

 

 

とすごいプレッシャーとストレスを

抱えていたんですよね。

 

 

でもそれが理由だとわかりなんか

アホらしくなって頑張るの止めました。笑

 

 

多分これが中学生の頃だったら

更に自分にプレッシャーをかけて

いたと思いますが、

 

 

きっと精神的に少し成長したんですね。笑。

 

 

中学の2年間はESLのクラスで

国語・社会で英語のサポートを

受けていましたが

 

高校に入るタイミングで

ネイティブの生徒と同じ授業を

取れることになりました。

 

 

とは言っても高校になると

授業の内容もレベルアップ。

 

 

国語ではそれまで以上に

本を読まされまくり、

 

本を読むペースもESLの時のように

内容を解りやすく解説してくれるわけでなく

 

ここまでと決められた範囲を全員が

個人個人で読んでおいて授業で直ぐに

その内容について話し合ったりと

読んだ内容を理解していることが前提。

 

 

授業中に全員で読む本と、

更に家で自分で読んでくる本があり、

 

(家で読む本は教師が提示した

何十冊くらいある本のリストから

自分で選ぶので生徒によって違う)


どちらの本についてもエッセイを

クオーター毎に書きました。

 

アメリカは大体Semester(二学期)制で

その中でも更に2期に分かれていて

それが年間の四分の一なのでQuarter

と呼ばれます。

 

エッセイとは日本の小論文と

似ていますが構成ルールなど

もっと細かく決められています。

 

そして当時から手書きはNGで

すでにワープロ(時代がばれるニヤニヤ

で作成していました。

 

 

スペルミスは減点対象になるので

必死に辞書を引いて間違いがないか

確認していました。

 

 

今のマイクロソフトソフトワードのように

赤の下線でスペルミスを教えてくれる

機能なんてなかった時代ですからね・・・

 

 

私が通っていた高校は公立でしたが

かなり学力レベルが高い学校で全員

大学進学は当たり前という雰囲気でした。

 

カルフォルニアだからか大体みんな

UC系(UCLAとかUC Berkeley)の

大学を目指す生徒が多かった印象。

 

 

みんないい大学に行く為に

必死に勉強してボランティアなどの

課外活動などに精を出したりと、

 

アピールポイントをせっせと作って

日々頑張っていました。

 

 

そんなまあまあレベルの高い学校を

なぜか奇跡的に留年せず卒業する

ことができるくらいまでには英語は

上達しましたが

 

 

 

英語は大嫌いでした凝視

 

 

英語力を重んじる日本において

私は恵まれていた環境にあったことは

もちろん理解しています。

 

 

中高生で英語圏に何年も滞在して

英語を身に着ける機会があった事は

親にも感謝しています。

 

実際に転勤から3年経った頃に

日本から友人が遊びに来た時は

 

私が通訳したり飛行機の予約確認の

電話とかも普通にやってましたし。

 

友人が現地の人がしゃべる英語を

全く理解していない様子を見て

色々な意味で衝撃を受けたのは

よく覚えています。

 

少なくともリスニング・スピーキング

においてはほんの数年で友人とは

かなり差が出てきていました。

 

(ちなみにこの友人とは今でも

連絡を取り合っていいます!)

 

 

ただ、身を置いた環境がそもそも

サバイバルの為に英語を勉強した

ようなものになっていたし、

 

 

みんなが私の英語の粗さがしを

しているから

 

 

絶対に間違えられない、

 

 

そんな強迫観念のようなものが

いつもありました。

 

 

ネイティブの人たち、

 

特に白人系は全員、

 

英語が完璧じゃない私のことなんか

絶対にバカにしてる。

 

 

私と話す姿を周りに見られたら

恥ずかしいとか思ってる。

 

 

と、本気で思っていました。

 

今思えばどんだけ偏見に満ちてるんだ滝汗

 

 

まあ校内では実際そうでしたね。苦笑

 

 

 

高校ではみんなある程度大人に

なるのか中学の時みたいに露骨な

態度をする人はいませんでしたが。

 

 

日本に帰ってからは

 

アルバイト先のレストランで

私が英語を使っているのを見て

(場所は六本木付近でお客さんの

半分近くが英語圏の方でした)

 

「マナティさん英語できてすご~い!」

 

とか言ってくれる人もいましたが、

 

その度に「全然だから!」と、

謙遜でもなんでもなく本心で

言っていました。

 

 

でも、

 

 

そんな私のウルトラスーパー偏見に

満ちた考え方を変えてくれたのが

 

 

オーストラリアだったんです。

 

 

オーストラリアとの初めての接点は、

 

都内の日系企業で勤めていた頃に

あるプロジェクトの為に研修生として

豪州の現地法人に半年程出向いた時です。

 

(本当は一年の研修制度だったのに

会社の業績が悪くて半分にされた)

 

 

その時にみんなと和気あいあいと過ごし、

私の英語をすごく褒めてくれたんです。

 

 

「マナティは英語をちゃんと理解してるわ~」

(↑業務上、沢山の日本人と

仕事をしてきた上司からの言葉)

 

 

「マナティ会話の返しが早いけど

頭で考えるのは日本語?英語?」

(↑隣の部署のマネージャー)

 

 

など、

 

 

アメリカの高校では私の英語の

できない部分にいつも焦点が

当てられていたのに、

 

 

オーストラリアでは

 

 

できる部分しか焦点を当てられない・・・!!!

 

 

え?いいの?

 

 

こんな英語でいいの?

 

 

"in"とか"on"とか間違えて使うときあるよ?!

 

 

完璧じゃないよ??

 

 

私、堂々と英語で話していいの?

 

 

誰も私を見下さないの?

 

 

誰も私から離れて行かないの?

 

 

友達って言ってくれるの?

 

 

私でいいの?

 

 

と涙腺が崩壊しそうでしたえーん

 

 

私の知らない英語のフレーズを

教えてくれたりもしました。、

 

なんたってアメリカでネイティブの友達が

いなかったお陰で超カジュアルなフレーズ

とかスラングとか全然分からなかったので。

 

 

オーストラリアは、

 

私の英語に対する苦手意識を

克服させてくれたんです。

 

 

ちなみに夫とはこのプロジェクトを

通して知り合ってます(違う会社)ニヤニヤ

 

 

夫との出会いについては

気が向いたら書きますw

 

 

あとはオージーにとって私は

見た目はいかにもアジアン!!

なのに喋るとアメリカ英語という

珍しい存在みたいです泣き笑い

 

 

移住した頃はよくこのアメリカ英語に

ついて言われました。

 

 

以前に夫の同僚と話していたら

途中で「ご、ごめん、マナティから

アメリカ英語が出るのがどうしても

不思議過ぎて」と笑われたことも。笑

 

 

確かに、こっちではアジア系の

見た目の人たちは生まれ育った人だと

完璧なオーストラリア英語をしゃべるか

 

移住組だと故郷のアクセントがある

英語をしゃべるもんねキョロキョロ

 

 

 

日本で働いていた時、

たまにですが会社の人から

 

 

「マナティさんアメリカにいたんだあ~。

いいなあ~英語!

 

だって苦労しないで

勝手に喋れるようになるじゃん!」

 

と言われることがありました。

 

 

 

喧嘩売ってる??

(↑心の声)

 

 

そういう発言、

当時はイラっとしていました。

 

 

どんだけ大変な思いをしてきたと

思ってんの???と。

 

 

でも本人に悪気はないんだし、

 

今になって思えば確かに自分が

中学生くらいで海外の現地校に

いきなり通うようになったらとか

想像できないだろうなと理解できます。

 

私もだいぶ精神的に成長しました。笑

 

でも、中高生の時は何度も

「どうして小さかった時に話していた

英語を忘れちゃったんだろう」とか

 

「忘れなければこんな大変な思いを

せずに済んだのに」と何度も思いました。

 

 

とにかく、中高生時代を振り返ると

英語にばかり囚われてあまり楽しい

思い出がない青春時代でしたね。笑

 

 

ま、全然今は気にしてないし

思い出すことも殆どないですけど。

 

 

思い出してもあんなことがあったな

くらいに自分の中では消化されています。

 

 

私は私!!

 

 

 

ちなみに日本では

 

アメリカもオーストラリアも

「英語圏」とひとくくりにされがちですが

 

 

ぜんっぜん英語違うから!!

 

 

 

と声を大にして言いたい。

 

渡豪することを周りに報告した時も

 

「英語圏だからマナティさん

全く問題ないよね!」

 

とみんな口をそろえて言いました。

 

 

オーストラリアの人たちは

私の英語を褒めてくれたけど

 

オーストラリア英語は最初本当に

分からなくてすごく苦労しました。

 

特に田舎の年配男性はみんな

もごもご話すので分かりづらい!

 

義父が話してる内容なんて

ほぼ理解不能だったし、

 

亡くなった義祖父に関して言えば

夫の通訳を介さないとお互い

意思疎通が図れませんでした泣き笑い

 

(義祖父はアメリカ英語に

慣れてなかった様子)

 

 

しばらく苦戦したあとに

 

アメリカ英語を聞いたら一語一句

クリアに頭に入ってきて

 

自分が天才かと思えた程です。笑

 

 

と、大変だったこともありますが、

 

何よりも

 

私の英語に対する苦手意識と

欧米の人達に対する考え方を

変えてくれたオーストラリアには

 

本当に感謝ですキラキラお願い

 

 

 

娘に頭に泡を乗せられる息子・・・

 

嬉しそうw

 

 

 

二人で二足の靴下をシェア笑

 

 

オーストラリアと出会わなければ

子ども達との出会いもなかったと

思うと巡り合わせって本当に不思議ですキラキラ