それは25歳までさかのぼる、人生を豊かに導いてくださった方との念願の再会だった。

母子家庭の貧しい家庭環境に育ちながらも、いつしか母に誰よりも早く自分の家をプレゼントすると言う決意からの物語です。

生い立ちがこちらに書かれています。↓

 

約30年前

25歳の自分、10にも及ぶ銀行から、住宅ローンの融資を断られ続けた。

時には書類を投げられ、母子家庭、独身、手取りの給料がこれだけ、薄笑いをされながら、本気ですか?と馬鹿にされ続けた。

しかし、絶対に諦めなかった。

きっと、

どこかに、、

真っすぐ向き合ってくれる人は必ずいると信じていたから。

 

最後の銀行。。

もうこれで断られたらおしまいだな。。。

走馬灯のように心に今までの映像が過った。

私の不安が消え去るかの様に、その方は笑顔で迎えてくださった。

初めて真っすぐに向き合い、誠実に話を聞いてくださり

何より、25歳の若さで家をお母様へプレゼントされたいと言うお気持ちに、

どうにかお力になりたいとまで言ってくれた。

心の中で大粒の涙が溢れた瞬間だった。

人生で初めての大きな決意に、共感をしてくれた上に応援してくれたのだから。

様々な深い事情をお伝えし、書類を手渡して来た。

やりきった、悔いはない。

後は朗報を待つのみだった。

 

しかし、

何日も何日も、天を仰ぐかのように時はどんどん流れて行った。

1か月。。

正直、落胆していた。

電話が鳴った、その時が来た。

結果は。

明るい声の先に耳に贈られて来た言葉は、大変遅くなりました、ご融資の決定がおりました。

その方は、自分のことの様に上司の方に何度も掛け合い、私の気持ちその他全てを代弁してくださった。

その熱意に、融資の許可をしてもらえたことが手に取るように伝わって来た。

私は。電話を手にしながら喜びの涙で溢れていた。

 

しかし。。

家を購入した1年後、信号無視の車にはねられ、車いす生活の身体障害者になってしまった。

 

その後もう一度、現在の身体になった時にお世話になることに。

今度は障害を持つ身体、融資の団体信用保険に加入する際に

保険担当者から、「いくつまで生きられますか?」

とまで言われた。

また融資が困難な状態に。

それでも、その方は変わらずに、誠実に、熱意を持って、真っすぐに向き合ってくれた。

様々な困難が待ち構えていたが、その時もそれらを超えてくれた。

 

あれから20年が経ち、再会の機会に恵まれた。

所作までも美しい変わらない佇まい、そして豊富な知識と意識。

思い出話に花が咲いた。

あの時の恩返しと、恩贈りをこれからさせて欲しいとお願いした。

想像を絶する苦難、困難の人生の中にも、こんなにも人生を豊かに導いてくださった。

お力添えを出来る自分にまで成長させてくれた大切な存在。

最後に、なんと、私にプレゼントまで手渡してくれた。

様々な想いが込められた素敵なボールペン。

美しいメッセージと共に。

初めて使用したのは、講演終了後のサイン。

大好きな甘いお菓子と共に、その方から贈られたお気持ちに深く想う。

恩贈りの人生を歩んで行きたい。