家族を置いて

母親だけが泊まりで遊びに行くなんて

有り得ないわ


4年前まではこんな価値観だった私が

この夏、夫も子供も置いて

香川に泊まりで遊びに行った。


大木あゆみさんのノートラボイベント

《夏合宿》である。


\ ひとつ前のお話はこちら /



夏合宿は素晴らしかった。


どんよりした雲と海の間を落ちていく

オレンジの夕日。

天の川までくっきりと浮かび上がり

無数の星がまたたく夜空。

宵闇を裂いて海から煌々と昇りゆく

黄金の朝日。


そのどれもが

今まで見た似たような景色を

超えていく美しさだった。


そしてナマのあゆみさんと共に時間を過ごし

他愛ない話から

有料セッションでは?と思うような濃い内容まで

たくさんたくさん話した。


本当に、言葉では表し尽くせないほど

素晴らしい旅だった。



そんな合宿の〆のランチで

あゆみさんからお題が出た。


「この合宿で一番心が動いたこと

    感動したことはなんですか?」



真っ先に思い浮かんだのは、父母ヶ浜だった。

どれくらいの確率で見られるのか?

と思っていたウユニ塩湖ばりの景色が

淡々と目の前に現れたのだ。


こんな簡単に見れちゃっていいのかな?!

という驚きとともに少し拍子抜けしてしまった。



次に思い浮かべたのは

なおさんにお会いした瞬間。


なおさんとは

長期講座やラボの月イチお話会などで

ご一緒することが多く

オンラインでは何度もお話したことがある。


今回参加されると聞いて

会えるのを楽しみにしていた。


観音寺駅の出口で

艶やかなワンピースに身を包んだなおさんを

見つけた時の喜びったら

私が犬ならちぎれそうな勢いで

しっぽをぶんぶん振り回していたに違いない。


その喜びの後にしれっとあゆみさんを見つけて

早よ行くで!みたいな空気になったので

ナマのあゆみさんと出会った瞬間のことは

あんまり覚えてないというのはここだけの秘密である。



そして次は?と思い巡らせた時

なんと、次は出てこなかったのである!


夕日も夜空も朝日も

どれも何も思い出さなかった。

あゆみさんとの濃い話すら1ミリも出てこなかった。



え、私、この旅であんまり心動いてないの?

家族置いてまで来たのに。

なにしに来たのよ。



そんな後悔に近い気持ちが

うっすらと沸きはじめた時

なおさんからお題のシェアが始まった。


なおさんの心動いた感動の瞬間は朝日だった。


そのシェアを聞いた時

「心が動いた瞬間」「感動した瞬間」の幅を

如何に狭めていたか、ということに気付いた。



父母ヶ浜の水鏡のような景色を見た時

会いたかったなおさんの姿が目に飛び込んできた時

私が感じたのは

ざっぱぁんと荒れ狂う波のような昂りだった。


物理的に近いくらい《心が動いた》のだ。



一方で、夕日・夜空・朝日にも

間違いなく感動し心は動いていた。


だって20分も30分も

ずっと眺めていられたのだから。

こんな素晴らしい景色とゆったり流れる時間は

もう2度と味わえないんじゃないかって

泣きそうになったんだから。


それは凪のように静かだけど

絶えず押し寄せるさざ波のように

《心が動いた》瞬間なのだ。



波も凪も、同じ。

違いは、動か静かだけ。


なのに、凪を無いものにして波しか見ないから

不安や怒りという違う方向の荒波でも

「波が来た!」と飛びついてしまう。

それで魂が喜び楽しんでしまう。



日常には

荒波のように心動く感動の瞬間は

なかなかないけれど

凪のように静かな感動の瞬間は

たくさん溢れている。


「ある」を見る、なんてまさしくそうだと思う。


少なくとも私はそこに対して

ドラマチックに心を動かすことは出来なくて

「確かにあるなぁ、ありがたいなぁ」

と陽の当たる縁側で緑茶をすすりながら

ほっこりするような、そんな心持ちになる。


それもまた、心動いた感動の瞬間なのだ。

ほっこりできたことに感謝して過ごせばいい。


その積み重ねが

幸せであることに繋がるのだから。