どうして感情を感じる前に意味づけをしてしまうんだろう。
「寂しい」と感じた、その瞬間に、
「これは承認欲求なんだ。」
「私は自分を愛せていないんだ。」
そんなふうに言葉をつけて、わかった気になってしまう。
でも、本当はわかってなんかいない。
意味づけをして痛みから自分を守っているつもりでも、
その時の感情は置き去りのまま。
だから心は納得できなくて、何度も同じことが蘇ってしまう。
それならもう少し、自分と深く付き合ってあげようか。
意味をつける前に。
答えを出す前に。
ただ胸が苦しいこと。
喉がつまること。
涙が出そうになること。
まだ言葉にも意味にもなっていない感覚を、そのまま感じてみたい。
「寂しい」を「承認欲求」に変換したり、
「私は自分を愛せていないんだ」と責めなくていい。
急いで意味をつけて、自分を納得させなくてもいい。
ただ、胸がキュッとなる感覚、喉が詰まる感覚、お腹の底が重くなる感覚
そんなふうに「言葉になる前の鉛」のような感覚を、
ただ身体のどこかで感じきってあげたらどうだろう。
もしかしたら「意味づけ」や「答え探し」というフィルターを外したとき、
私の感情を初めてわかって受け入れてあげられるのかもしれない。
「期待してしまう自分」とうまく付き合っていく
「期待しない冷たい人」になるんじゃなくて
「また期待してるな。でも、それくらい私は誰かと繋がりたいんだね」
虚しさが襲ってきた時こそ、
自分の苦しみのエネルギーを認めてあげること。
ショートカットして「意味づけ」しちゃうんじゃなくて
辛抱強く「感じている」プロセスそのものを、
自分の感覚表現として育ててあげる。
そうやって自分の感情と丁寧に向き合っていく時間は、
いつか自分自身の言葉で自分を支えられる日につながっていく。
私は、そんなふうに思っています。