女の子だったころの自分を

思い出した


弱くて、泣き虫で、甘えん坊で

わがままで、勉強ができなくて

運動もできなくて

手先も不器用で

食べるの遅くて

足も遅くて


授業中は、絵を描いたり

窓の外みたり

退屈で


なんでもできる

女の子は、別世界の人で

でも、だいたいいつも

好きな男の子がいて

毎日、楽しくて


ラッキーだったのは

何もできないけど

両親に愛されて育ったこと


できない自分のまま

笑って、甘えて

生きてこられたこと


それが奇跡だって

知らずに。


さらにラッキーだったのは

塾の先生が

わかりやすく勉強を教えてくれて

ある日を堺に

ぐんぐん成績が上がって

勉強が楽しくなったこと


何もできない私が

自信を見つけた事

それが勉強だった


さらにさらにラッキーだったのは

友達に恵まれたこと


優しくされた事


それから世界一優しいかと思われる

彼氏が

高校生でできたこと

何もできない私を

からかいながらも

いつも、笑って見守ってくれて

ダメなままでいられた人。



そして

いま


女の子だった私は

母になり

妻になり


たくさんの鎧をつけて

戦って


イライラして

ギスギスして

自分を見失っているように

感じる


毎日

へとへとで

あまり笑わなくなって


体重も増えて

シワもあって


かわいいかわいい私は


自分の家族から

時には

冷たくされたり

否定されたり

ダメな自分ではいられなくなって


家事も炊事も

全部するのがあたりまえで


そう思われて生きてて


洗われない食器

放り込まれる洗濯物


母を思った

母も

女の子だったんだな


弱くて、小さな女の子

キラキラしたものが好きで

コロコロと笑って

お花とかつんじゃって

たくさんのものに憧れて


だけど私の知る母は

強くて

テキパキと動いて

いつも台所にいて

大量の家事

3人の子育て

フルタイムの営業の仕事をして

支店長になって

たくさん表彰されて

なのに

娘の私を

たくさん抱きしめながら

育てて


我慢をしらないほど

なんでも

買ってくれて


たくさん働いた母は

誰よりも早く死んでしまって


今の私を見たら

なんていうかな


太ったね

もっと

オシャレしなさい

やだ、肌あれてひどいわ

とか

大丈夫よ

母がついてる

お金振り込んどいたよ

まかせて…

困ってないときも

助けてくれた人

心配してくれた人


次男が不登校になったのを

知らない母


精神科に通院してるなんて

知ったら

私になんて言ったかな


無理させるから

もっと優しくしてあげなさい

母親なんだから

しっかりしなさい


かな。


小さな女の子だった私が

重い、硬い

鎧をつけて

ガチガチになって

生きてる


それが

今のわたしで

私の知る母も

また、ガチガチの鎧をつけていて

あまり幸せそうではなかった母


生きるのに

必死にみえた

よく、お風呂でぶつぶつ言いながら

泣いていた

子供を、守るのに

いつだって

必死に見えた


希望は

旦那さんにしっかり

優しく守られて

ふんわり

ニコニコ生きていたい

母にもそうあってもらいたかった。


でも、現実には

そんな夫はいなくて

嫌なこと

たくさん言ってきたり

できない私を責めて、責めて

泣かせる


浪費くせあって

私はお金の心配ばかりだし


でも、なぜ

結婚したんだろ

最大の試練だと思う。


鎧は

どんどん強く

重くなる


だからこそ

やわらかいワンピースを着て

笑っていたころの

自分に

また、もどろうと


がんばらない

わがままな

自分のままで

やんわりと、もう一度

生きてみたいと

45歳になり思った…


もう、色々

一回手放して


自分ファーストの生きかたに

戻ろうと


最近、思う。


まずは、友達が欲しいな…

すっかり

疎遠だし

日々に追われすぎて

友達と遊ぶことなんて

忘れていた。


ママ友でも

職場の人でもなく

女の子の私でいられる

友達…


この年から💦


探してみたいです☺️



かわいい

カレー💕

ちょうど卵に

スマイルマーク


私がパートでフタにスマイル書きました〜☺️