つづき・・・
なぜ今、
肺への転移が見つかったのか?
肺に溜まるのは
「悲しみ」の感情
と言われています。
前回の直腸がんの時に
わたしが向き合わないで
切り捨てたもの。
それは
「両親との関係」でした。
わたしは両親との会話が
わたしの思ってもみなかった結果に
なったことが
とても悲しいと感じていました。
悲しみのあまり
腹が立ち、
もうこの人たちとは何も話すことはない!
わたしはわたしの思うように生きてやる!
と鼻息荒く生きてきましたが、
本当のところはいつもいつも
悲しい心もちでいました。
カウンセリングに
通うようになった
理由の一つは
この悲しみを
どう扱ったらいいか・・・
もう自分一人では
耐えられそうにない、
と思ったからでした。
今回、
肺に影が見つかって
肺へのがん転移が疑われたとき
親と縁切ってる場合じゃないな、
とはっきりと感じました。
仲違いしたまま
死ぬのは
わたしの魂の
よろこぶことじゃない
と。
本当は
両親とも
仲良くしたい。
意見が違おうとも
相手の思いを
理解できなかろうとも
愛したいし愛されたい。
そう感じていました。
そこで
わたしは母親に連絡をして
会いに行くことにしました。
ちょうど両親からも
美味しい牛肉をもらったから
スキヤキを食べにおいで、
と言われていました。
肺に影があることも
伝えてあったので
その結果を伝えに行く、
という名目でもありました。
2021年4月27日に
胸部CTの結果が
出ることは伝えてあったものの、
落ち込みすぎて
誰にも連絡したくなくて
塞ぎ込んでいたので、
まだ、両親にも
結果を伝えていませんでした。
母親は結果が氣にはなりつつも
わたしが
きっとショックで
落ち込んでいるんだろうな、
と感じていたらしく
スキヤキの話をしてきたのでした。
(母親の勘って
本当にすごいです。
わたしに
縁を切られているのに
氣にかけてくれるところも
本当にすごい)
実家に行き、
久しぶりに
食卓を共にしました。
その時に何を話したかは
なぜか
あまり覚えてはいませんが、
↑
この時わたしが
「抗がん剤治療はしないつもり」
と伝えた時に言った父の言葉
「ふん。
そうか
じゃあお前は一年以内に
再発して
死ぬんだな」
この言葉が本当に悲しかったし、
傷ついたし、本当に嫌だった、
と伝えたことは覚えています。
「あんなこと言って、、
謝って欲しいくらいだわ」
とわたしが言うと
「あんなもんは比喩だとはわからんか?」
と。
「だとしても
言われて心地いい言葉じゃなかった。
本当に嫌だった。
悲しかったし。
ほんとに謝って欲しいくらい」
と繰り返しましたが、
父は何やら
自分の言いたいことを言っていました。
(↑もはや父の言葉を聞いてもいないわたし…笑)
最後に
「謝って」とはっきり言いましたが、
父が謝ることはありませんでした。
頑固な父め(笑)
プライドが許さないんだろうな。
それとも
本当に悪いことしたと
思っていないのかも・・・
だとしたら
わたしとしては
ホントびっくりだけど、
まぁ、それが父なんだから
仕方ないな、
と諦めました。
不思議と腹が立つことは
ありませんでした。
そして・・・
↑
この時に
なぜわたしが
本の話をしたかったのか、
この時
わたしが言いたかったことや
感じたことを
両親に伝えました。
わたしの想いを言っても、
両親は
「それとこれとは話が違う」
と言っていて
結局
わたしの言いたいことは
伝わらなかったし、
わたしの氣もちも
多分わからなかっただろうし、
わたしも
両親がなんでわたしの氣もちが
わからないのか全くわからないし、
話はお互いに平行線のままで
何一つ
交わることはありませんでした。
それでも
よかったのです。
わたしがしたかったことは、
両親にわたしの氣もちを
わかってもらうことでも
理解してもらうことでもなく、
ただ、
「あなたたちの氣もちを
考えないで
わかろうともしないで
あんなふうに
切り捨ててしまって
ごめんなさい」
と伝えることだったのです。
きっと
わたしががんであることを知って
両親は心を痛めたはずです。
しかも
手術が無事に済んだとしても
永久のストーマに
なることは決まっていて、
それについても
わたしのことを想って
色々思うところは
あったのだと思うのです。
ただ、
このときのわたしは
自分のことと、
自分の娘のことで精一杯で
両親の氣もちまで
考える余裕は
全くありませんでした。
ただただ、
見守ってくれたらそれでいい、
くらいにしか思っていませんでした。
一年近く経って
ようやく
両親の氣もちに
氣がついたのです。
しかも
肺への転移があったおかげで、
(もしかしたら
残された時間は
そんなに長くないかもしれない、
という可能性まで
医師にほのめかされたことで)
ようやく
自分の
「両親と仲良くしたい」
という氣もちに
素直にもなれたのでした。
わたしは
泣きながら
「ごめんね。
そして
心配してくれてありがとう」
と謝りました。
母も泣いていました。
それが
2021年のゴールデンウィークの
出来事でした。