前回からの続き・・・

 

 

 

2021年4月27日

 

直腸がんの肺への転移がある、と

医師に告げられてから

 

人生のどん底にいるような氣分の中

 

さまざまな想いや問いかけが

わたしの内側に湧いてきていました。

 

 

 

 

 

 

はぁ〜・・・

 

これから

 

わたしは

 

どう生きたら

 

いいんだろう・・・

 

 

 

 

 

もし

がんが何かのメッセージだとするなら

 

何で今なの?

 

 

何で肺なの?

 

 

 

何のメッセージなの?

 

 

 

 

わたしは

一体何に氣付く必要があるの?

 

 

 

 

やっと真剣に生きようと決めたのに

何でまたがんなんだろう?

 

 

 

 

このまま死ぬのかな・・・

 

 

ほんとかな

 

死ぬのかな

 

 

 

 

わたし

 

何がしたかったんかな。

 

 

 

何で生まれてきたんかな。

 

 

 

何しに生まれてきたのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もし本当に

この後のPET検査で

 

全身に転移が認められて

肺の手術もできない

 

と言われたら・・・

 

わたしはどうするんだろう??

 

 

 

抗がん剤治療とか、

するのかな・・・

 

 

 

・・・

 

 

 

しないな

 

 

 

 

 

 

全身に転移していても

抗がん剤治療は

やっぱりしない。

 

 

 

 

わたしは

短くても

 

残された日々を

笑って過ごしたい。

 

 

 

 

例え

残された時間が短かったとしても、

 

いや

残された時間が短いからこそ、

 

 

魂のよろこぶこと

だけをして生きよう。

 

 

 

それが

どん底にありながら

わたしが出した結論でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魂のよろこぶこと

だけをして生きる

 

 

 

 

そう決めたとき

何か一本柱が通った感覚になりました。

 

 

 

 

さまざまな問いかけがあったなかで

たった一つのこの答えが出たことで

 

ずっと閉じこもっていた家を出て

少し歩きたいような氣もちになりました。

 

 

 

 

夜8時ごろ

「外が歩きたいから

付き合って」と娘に頼み、

 

散歩のために家を出ました。

 

 

 

 

歩き出してしばらくすると

 

急に嗚咽と共に

涙が溢れ出しました。

 

 

 

 

それは止めようもないほど

激しいものでした。

 

 

 

 

はずかし・・・

と脳みそは言います。

 

 

 

 

それでも「わたし」は

「それ」が

「出すべきもの」であることを理解していました。

 

 

 

 

 

感情は体の至る所に溜まります。

 

今回のわたしの場合は

 

歩くことで骨盤が動いたから

中にある感情が出てきた

 

のです。

 

 


 

 

感情も

排泄物も

 

出たがっているものは

すべて出すのが

 

本来のわたしたち

(動物である人間)の自然な

 

あるべき姿です。

 

 

 

 

 

 

わたしは

娘の存在に支えられながら

 

ひと気のない夜道を

泣きながらひたすら歩きました。

 

 

 

 

 

 

しばらく歩くと

 

嗚咽も涙も止まり、

 

 

 

どん底だった氣分が

 

少しずつ晴れてきて、

 

 

 

散歩から家に帰る頃には

 

すっかり元氣になっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして元氣を取り戻して

次に浮かんできたのは、

 

両親のことでした。

 

 

 

 

 

2020年の直腸がん摘出手術の後、

抗がん剤治療をするかしないかの

選択の時に

 

両親との会話が成り立たず、

 

「縁を切ってやる!」

 

と決めてからずっと

疎遠になっていた両親。

 

 

 

 

 そのときの記事はこちら

 

 

 

 

 

縁を切る!と言い放った時には

怒り狂っており、

 

そこからはフガフガと鼻息荒く

生きてきましたが、

 

本当のところは

両親と笑って普通に話せないことが、

 

わたしは

とても悲しかったのです。

 

 

 

ずっとずっと

悲しくて仕方なかったのです。

 

 

 

 

 

肺に溜まるのは

「悲しみ」の感情です。

 

 

 

 

わたしが肺のがんになった理由は

それしか考えられない、と思いました。

 

 

 

 

 

わたしは本当は

ずっと悲しくて仕方がなかったことを

ちゃんと認めようと思いました。

 

 

 

 

この悲しみは、

今回のことだけではなく、

 

ずっと両親との関係の中で

わたしが抱えていたことでした。

 

 

 

 

今回、このタイミングで

肺への転移が見つかったのは、

 

そこの課題に取り組む時が来た、

ということなんじゃないか、

 

と思いました。

 

 

 

 

 

縁とか切ってる場合じゃない

 

 

 

そう思いました。

 

 

 

 

つづく・・・