私が今住んでいる町は海の町。
私のリーディングに時折出てくる特別なエネルギーの土地、『光の港』。
ここは『光の港』の町、とまではいかないけど、かなり近いエネルギーを持った町です。
以前、私の内側が「ここは『光の港』だからぜひ立ち寄って行きなさい」と何度も促し、訪ねた町は広島県の鞆の浦です。
鞆の浦は、ジブリ映画の『崖の上のポニョ』の舞台とされる古い小さな港町ですが、私自身はそれほど興味なく、むしろ、その近くのお洒落な見どころが沢山ありそうな尾道に行こうと思っていました。
数年前、本格的に会社勤務に入るという手前の、限られた自由時間を活かし、気ままに瀬戸内海周辺を巡る一人旅でのことでした。
私的には心惹かれるスポットに立ち寄るのを優先しているつもりでしたが、結局は、内側に立ち寄るよう促されるのを優先にしていることが多くありました。
そのどれもが自分の想像を超え、大当たりで、流れも素晴らしく、魂に導かれて赴く旅は本当に深くて、おそらく、魂が学ばせたい必要な何かを体感するような、不思議に面白い旅になりました。
鞆の浦は内海に位置しているにも関わらず、江戸時代という鎖国時代に平和かつ、のどかな国際交流の行われた場所でした。
異文化交流、国際親善というべきかな。
当時、日本を訪れた、朝鮮通信使達をもてなした、福禅寺対潮楼で朝鮮通信使の行列の絵を見ながら、『光の港』の意味が、なんとなくわかってきた気がしました。
光の世界へのゲートがあるような場所のこをさすようです。
だから、ここで異文化同士、心開き、平和な交流が交わされる。
現在、私の住む場所も光の港に近いエネルギーの海の町。
新しい世界へ抜けるゲートがある。
私はそれを知らず、ただ何かを感じて、この港町に移り住んだのでしょう。
言い換えると、ここに住む間は私にとって移行期間だといえるのです。
今日、久しぶりに、前に住んでいた市の、前に勤めていた会社のあった町へ行くついでに、その町の鎮守の八幡神社さんにご挨拶に行きました。
以前お世話になったのにご無沙汰なこと、そして、新たにこれから、この町に再び御縁をいただくことになることも含めて、のご挨拶です。
とはいえ、引っ越すわけでなく、これから仕事の関係で時々お世話になるからですが、不思議とこちらの町にも御縁のが深い気がします。
住まいのある港町に対して、ここは、内陸の町。
日本の龍さんのおヘソのイメージ。
この八幡神社さんは以前にもお詣りしたことがあります。
以前の会社に勤める日の朝、ササッとお詣りする…、そんなのが一、二度あったぐらい。
あまり、ゆっくりお詣りした記憶がありません。
今日は一羽のカラスが目の前をパタパタと横切り、高い樹の上に舞い上がり、数羽のカラスが一斉にガーガーと警戒の鳴き声を発しました。
最近、別の八幡神社さんでもカラスの警備員達に警備されました(笑)。
カラスさん達、一生懸命場所を護っています。
本殿に手を合わせる頃には担当が鳩さんに変わり、コロコロ鳴く声の中、お祈りすると、それまで強い風が吹いていましたのが柔らかい風に変わりました。
神様の快い優しい応援を感じました。
ふと、目の前の100円おみくじが気になりました。
早速、100円入れたものの、手を木箱に入れてみると、底板しか触れない。
え、おみくじがない?
角のところに手をやると、そこに少しだけあった〜。
ようやく手に触れたおみくじをホッとしてとり出します。
神様の教え、裏に書かれた言葉がまず目に入って来ました。
「過ぎた繰り言取り越し苦労、神の授けし身を破る。
取り返しのつかぬ過去の事を、繰り返し思い悩んだり、定かではない将来の事を案じ煩うのは、唯心を痛め身を損なうだけの無益なことである。
今日は唯、今日の努めを、朗らかに一生懸命尽くし、明日は明日の務めに精を出す。
日々神様の御心に寄り添いわ明るく正しい心で、暮らすことが肝要であり、禍も転じて幸いとなる唯一つの正道である。」
ああ、今、まさにこれ!
こちらの神様の優しいメッセージに心救われました。
この土地にはお世話になったものの、辞めた会社など、色々後味の悪い記憶があり、この土地に来る度に後ろ髪をひかれる思いがあったからです。
お詣り後、その思いが解消する出来事もありました!
表面は『大吉』でした!
大丈夫、という神様からのメッセージも幾度となく響いた気がします。
柔らかい風に吹かれながら駐車場に戻ると、
カラスの警備員達はいなくなり、行きには気配のなかった勝虫、トンボ達が沢山群れて飛んでいました。
だそうです。
はい、神様!
また伺わせていただきます。
今日は少し前の私が