[今後のスケジュール]
次の月経きたら、排卵期に内膜チェック。あとは、薬の服用だそう。
その次の月経から移植準備開始。
少し時間が空く。
精神科も、たまたま通院日が祝日に重なった為に、3週間分薬貰えた✨
少しの間お休み\(^^)/
次の移植はランクが低いからあまり期待していない。
婦人科の飲み薬が増えるのが少し心配💔小児用バファリンと漢方だが、抗うつ剤は飲んででいいのだろうか💦
精神科の薬増えたこと婦人科の先生に伝えるの忘れた⤵️ってか、なんとなーく言えなかった😅
少しでも減らしてから伝えたいのが本音。
お休み期間、やりたいことをやろうと思う。
鬱のせいか何もしたくなくて、ほとんど寝てる生活だった。抗うつ剤飲み始めてからは朝起きれるし、なんとなくやる気も出てきた。
まずは近々娘の野球応援の送迎ついでに温泉にでも入ってこようかと♨️治療の間は、なんとなく感染症が心配で活けなかったから。
あと、身体も動かしたい。直ぐに疲れてしまうけど、まずは散歩から。
しかしここまでやる気が出てくると、抗うつ剤がストップしたときにまた元に戻るのが怖いと感じる。
今日は朝からなんとなく身体がダルかった。術後の出血が少し増えてきた。じわじわと出血してる⤵️
それにしても、一年中ナプキン付けっぱなしだと辛い😰夏は特にムレ感がある
布おむつにあこがれる36歳🐤
不妊治療には関係のない話だが、西日本の災害のニュースを見ているのは辛い😞
東日本の震災を思い出す。
実家は小さな漁師村。多くの家庭が漁師業で食べている。家は徒歩5分だけど高台にあるからギリギリセーフ。でも、思い出の場所はすべて流された。奇跡的に親戚全員無事。瓦礫の中から助けられた人もいたが、幸い軽傷で住んだ。
当時じいちゃんばあちゃんが住んでいて、直ぐに被災地へ行こうとしたけど通行止めにされていて行けなかった。安否も分からないまま時間だけが過ぎていった。生きているって分かった途端に号泣したのを覚えている。
2階の窓から海を見ていたじいちゃん。「ダメだ。全部流された」と言ったらしい。昭和の津波とは比にならないくらいの規模だったと話していた。
実家の窓から見える海。
畑も海水浴場もあったのに。何も無くなってしまったなぁ。
そして、たくさんの人が亡くなった。小さな水門を閉めるために集まった地元の消防団が多かったようだ。子供の頃にお世話になった人達がたくさんいる。
経験してるから、直ぐに逃げなければいけないという意識がついた。
今回の震災はどうだろうか。
避難指示って、何処に避難したら良いのか分からないような被害。川が決壊し、土砂崩れなんか起きたら逃げる差場所なんて無いのでは。娘の疑問に、とにかく頑丈な建物の高い所に行くしかないかなとしか答えられなかった。震災をを経験したにも関わらず、ハッキリとした避難場所が答えられなかった。復興ボケをしているのか、そんなことも確認していない。
こうやって他人事のように忘れていくのか。
改めて考えさせられる。

