歌る多ブランド
四月に、
歌る多師匠が送ってくれました。
これをつけて、着流しで歩いてみるか・・・、
でも、銀行強盗は、無理だな・・・、
Episodic Story A
どうしても、今日は、銀行へ行かなくてはならない・・・、
しかし、コロナのせいで
マスクをしなくてはならない。
森山智一は困惑していた。
ATM、の扱いには慣れていたのだが、
今日は、
税金の支払いなどで、窓口に行く必要があった。
森山智一、85歳、
演劇界では知られた男だった。
しかし、役者は昨年で止めた。
「マスクなんて、そんな、まどろっこしい物、してられねえよ、
だいち、俺は風邪ひかねえし・・・よ」
そんなことを言って、
森山は、この二十年余り、
どんな時でも、マスクをしたことがなかった。
いつの頃からだったか、
森山は、厄介な衝動にかられるようになった。
自分が演じているときには、
そのようなことは起きないのだが、
仲間の芝居などを観ているときに、
自制がきかぬ状態に陥ってしまう。
おりしも、舞台では感動の場面。
暗い客席では、大勢の観客が息をころして、
見入っている。
場面の静寂が、観客の無言(せいじゃく)を包み、
劇場が群青の夜空の中へと溶け込んいく。
そんなとき、
「うわー! うおー! 」
大声で叫びたくなってしまう。
それが、森山の悩みだった。
原因は、自分なりに分かっていた。
だから、
なるべく、仲間の芝居は観ないようにしていた。
しかし、
役者をやっている以上、そんなことは通用しない。
それで、考えたのが、マスクであった。
ガーゼを小さくたたみ前歯で噛んで、
その上からマスクをする。
息苦しいが、これで、状況を自覚できるし、
ましてや、声を上げるなど容易ではない。
これは、成功だった。
しかし、夏でもマスクしながら観劇していたので、
周囲から異様に思われたのは、確かだった。
それも、
「歳だからな、エアコンが堪(こた)えるんだよ」
などと、言い訳をしていたのだが・・・。
それは、
仲間の芝居の通し稽古に呼ばれたときだった。
出演者も演出家も、他のスタッフも親しい間柄で゛
気がゆるんでいたのだろう。
役者の歩く靴の音さえ、劇場の天井に響くような
静寂の中。
森山は、心地よく微睡(まどろ)んでいた。
「コホン ! 」
近くの席から、小さな咳き込みが聞こえたときだった。
その瞬間、森山は立ち上がった
「うおうおうー ! あっはっはっ ! ・・・、」
叫んだとたんに、我に返っていた。
しかし、止めずに笑ってしまった。
森山は、すぐに劇場を飛び出した。
近くに座っていた仲間は、気づいていたが、
それ以来、その出来事は謎とされていた。
通し稽古であったことが、せめても救いだったが、
その日以来、
今度は、マスクの着用ができなくなってしまった。
しかし、それから二十年、
観劇で声を上げる衝動は抑えることが
可能になった。
しかしながら、
そんな厄介な癖が消えた訳ではなかった。
特に、
通夜や告別式など厳粛な場で、
その衝動が頭をもたげてくる。
そして、銀行である。
これは、本当に厄介だ。
銀行の窓口、その奥でデスクにしがみつく様に
仕事をしている行員。
他を寄せ付けない、その眼差しが、俗物とされる金、貨幣を
高尚なものにしている。
そんな厳粛な世界を前にすると、
森山は、いつもとは、違った衝動にかられてしまうのだった。
「金を出せ、おとなしくしろ !」
これは、まずい・・・、
喜劇の名優とも、多くの舞台に立った。
その影響があるのは、確かだった。
叫んだあとで、
「へへっ、冗談です・・・」
なんて、通じる訳がない、
下手(へた)をすると、警察沙汰だ・・・、
そして、今日、コロナ・・・、
そう、コロナのせいでマスクの着用が、
半ば、義務づけられている。
森山も、仕方なく、マスクをして銀行に来た。
予約券を取って、椅子に座る。
ソーシャルディスタンスとやらで、間が空いている。
ー なんだ、この張り詰めた空気は・・・、ー
数人いる、客もマスクをして身動きをせずに座っている。
緊張感が、森山の腹の中で収縮し始めた。
ー 本当に、まずい・・・、カオス、C- H- A- O- S、
英語で、ケイアス・・・治まれ・・・」などと、
自分に言い聞かせたが、治まらない。
太ももをつねった。
痛い、しかし、声を上げたくなる。
森山は、もっと強くつねった。
「うーん、うーん、ううー・・・、駄目だ・・・、我慢ができない」
森山は、立ち上がった。
「金を出せ、金を出せって言ってるんだ、早く、金を出せ・・・!」
銀行じゅうに響きわたった。
その夜のテレビのニュースにも流れ、
翌日の朝刊にも、銀行強盗の記事が載っていた。
女性の行員の出した札束をわしづかみにして、
バックに入れ、鈍く光る包丁を手に、
森山の前を通り過ぎて行った男。
黒い帽子をかぶり、白いマスクをしていたが、
無表情な目つきが不気味だった。
そのあと、警察も来て、二時間ほど足止めをされたが、
納税などを済ませて帰ってきた。
まさか、あの状況で、
本物の銀行強盗に遭遇するとは・・・、
さて、その後、
森山の変な癖が治ったか、
どうか、それは、定かではない・・・
言い訳
リハビリの一環につき、
誤字、脱字、そのほか、ご容赦のほどを。