慣れ親しんだパターン。

 

何十年ものの性格。

 

安定の見た目。

 

これが自分だと思っているもの。

 

 

 

意図してか、無意識なのか、環境のせいか。

人間は外界の世界に反応しながら、

感情を使いつつ、自分らしきものを作り上げる。

 

分析したって、どこから自分で

どこからが自分以外でなんて

線引きできない迷宮に入るだけ。

 

沖縄に生まれてたら、自然にカチャーシー踊るだろうし、

大阪に生まれてたら、自然とボケツッコミを習得してるだろう。

 

 

ある意味、自分は偶然の産物なのかもしれない。

たまたま、その土地に生まれ、その親の元に生まれ、

たまたま、こんな出来事、あんな出来事が起こり、

「たまたまストーリー」の中に、放り出されて、

筋書きもわからない人生を手探りしている。

 

 

生まれる前に自分で、予定立ててくるらしけど、

見事に思い出せない。

 

忘れているけど、うまい具合に台本通りに進んでるらしいけど。

そんな自覚はまったくない。

(台本は大雑把な人もいれば、綿密な人もいるらしい、

中には予想外ストーリーが挟まれることも。)

 

 

 

本当は、自分なんて、なんら固定していない。

きっと、器が変われば形が変わる水のようなものなのかも。

 

器とは、意図。

器とは、当たり前に、疑いなく、そうだと思う力。

器とは、自覚。

 

 

 

何十年経っても、なんら固定できない自分なのだから、

毎瞬、選択権は自分にある。

 

性格、気分さえ選べる。

今まで、選んできたのだ。

(魂の質は受け継いできたものがあると思うけど)

 

 

 

自分をどう思うか、評価するかなんて、

自分で決めてしまえばいい。

 

そのくらい自由でいい。

わたしはそうありたい。

 

 

 

 

二十歳、人生最初で最後のショートヘア↓

 

 

これ以降、ショートヘアは封印してたけど、

26年ぶりにやってみることにしました。

来月ね。

 

 

写真のショートヘアにした時、

誰かに「男みたいだ」と言われたんだよね。

ずっと、こびりついている。

 

わたしはショートは似合わないだと思った。

そもそも男顔だし、ショートは可愛い人のものだと。

 

 

 

これは今年の5月。
毛先を前髪にしてショートに見せている写真。

 

facebooke投稿したら、みんな騙されてくれてありがとう。

意外に好評で(アプリの力も大きい)、

わたし的には「ありなんか?!!」って。

「男みたいだ」が塗り替えられた瞬間でした。

 

でも、まだこの時点ではショートにする気ゼロ。

まだまだロングが気に入ってたし、

ロングが一番自分を引き立てると思ってた。

 

 

それに、これはたまたまよく見えただけで、
本当にショートにしたら、こうはならんぞ!と。

そっちの方が大きい。

 

呪縛って簡単に覆らない。

 

 

 

簡単には覆らないからこそ、

その壁を打ち破る価値があると

今は思っている。

 

 

 

幸い周りは「絶対似合うよ」と言ってくれている。

それを鵜呑みにして、やってみような感じ。

 

自分では半信半疑だよ。

やってみなくちゃわからない。

美容師さんのセンスには絶大なる信頼があるから、任せる。

 

 

なんせ26年ぶりのショートヘアだから、
一度、ショートボブを挟んで遊んでます。

 

前髪なしから、ありへ。

 

 

ヘアスタイルはイメチェンに一番効果発揮だと思うよ。
特に、前髪印象は大きい。

 

 

 

ちなみに、前述で

自分をどう思うか、評価するかなんて、

自分で決めてしまえばいい。」

と書いたけど、

 

自分が思い、目指す、決めることさえ
既存の枠に縛られての発想だったりする。

 

意外と枠から出るのは難かしい。

枠だんなんて意識できないから。

思い込みとは自分にとって自然すぎるから、

見えないし、捉えられない。

 

 

 

だから、抵抗のあることに、あえて手を出すのだ。

興味ある、面白そうだけそ、怖いこと。

予測不可能すぎるけど、ワクワクすること。

 

肚から湧き上がる衝動が羅針盤。

 

時々やってみると面白い展開が待っている。

 

 

 

 

私にとって、写真撮影や歌もその類だ。

あ、ギターもね。

 

経験も自信も保証もない。

なんなら、恥をかく気しかしない。

 

 

 

 

それが枠を超える、自分の道の可能性の発見に繋がる。
どこに連れて行かれるかわからないけど、

自分を知るたびに喜びしかない。

 

私は「わたしという世界」を冒険している。

冒険だから、失敗も成功もない。

冒険は冒険だ。

 

でも、宝探しはしない。

自分が宝なのはわかりきっている。

 

宝はただ置いて眺めるだけじゃ、味わえないから。

自分を揺り動かして、観察するんだ、堪能するんだ。