コサージュ通販 Manami*Magic 直感で作る“私らしいコサージュ”

↑ 百合の花は次から次へと咲いて、長持ちする。しかもいい香り。



大学4年から現在まで続けているメモ帳がある。


ポケットサイズのクロッキーブックを愛用している。


昨夜は、久々にすべて読み返してみた。20年分だ。



コサージュ通販 Manami*Magic 直感で作る“私らしいコサージュ” 以前の記事 にも書いたが、

手帳よりも自由に書けるので

当時の心境がよくわかる。


簡単な日記のようでもある。


あとは、本の抜出や、

気まぐれなアイデアが詰まっている。


でも、ほとんどはその時に感じている

迷いとか、希望とかのひとりごと。


毎日書くなんてことは決してなく、

数か月空くことなんてザラ。

このクロッキーを持ち歩いていなかった年もある。


他のノートになったり、手帳にその役目を

果たしたり・・・でも、結局またこのクロッキーに落ち着いている。








そもそものきっかけは、大学の卒業制作(デザイン科)に取り組んでいる時期に、

芸術とは、デザインとは、オブジェとは・・・・そうゆう関係の本を読んでのメモとして出発したようだ。

で、その模索とアイデアへと続いていくものだった。


私は昔のことをあまり覚えてない性質だので、時々わからない名前とかあったりする。

この人だれだっけ状態。なんと失礼な!通りすがりの人は、そのくらい記憶が薄い。


20年分読むのに3時間ほどかかり、夜中の3時。


時系列めちゃめちゃで読んでたので、ちょっと面白かったが、

やはり時系列で読む方がよかったな。

あとから、表紙に日付を書いた。

あまり、読み返すことを前提にしていないので、何年に書いたものかをつきとめるにも一苦労。




それから、もうずーっと前に、自分史年表を作ったことがあるんだけど、

ここ数年の空白だった年に、主要な出来事を書き込んだ。


この自分史年表は、「春夏秋冬理論」「六星占術」「0学占い」の運気の流れが

書き込んであって、それと照らし合わせて確認できるという代物。


もともと、この3つの占いは中国由来のもので、元は同じで流派が別れたものだと思う。

それぞれの運気の表現が違うだけで、だいたい同じようなことを言っている。


例えば、面白いことに、「春夏秋冬理論」では、【秋の3年間】は収穫・反省の時期なのだが、

「六星占術」では、かの有名な【大殺界の3年間】の時期にあたる。


【大殺界】というと、とんでもなく運の悪い時期で怖~い印象だが、

実際の私はどうだったかというと、

創作活動、デザインの仕事の収益がどど~んと増えた時期だった。

ただ、その3年間の最後の1年は、「0学占い」で言えば、【0地点】にあたり、勢いがゆるんだ。




20年のデータがあると、以前のこの時期は何があって、どんな展開になったのかを

振り返ることができ、今回のこの時期の過ごし方を導き出すことができる。

ただ、やみくもに頑張るのではなく、どこに力を入れるか、逆に力を抜く必要があるのか?

その時期に突入する前に、何をしておく、どう過ごすことが実りを生むのか?


そうゆう俯瞰した見方ができる。


私の場合、往々にして、今目の前のこの状況をどうにかせねば!的な発想に

凝り固まってしまいがちなんだけど。


逆に力を抜いて、リラックスして楽しみながら、コトにあたり、経験を重ねていくことが、

結果的に、後のパフォーマンスを上がる、ということもあることに気づく。


その時は、何が正解で、何が役にたっているかなんてわからなくても、

目の前のコトに真摯に向かい合うことが、自然に次の扉を開くのだね。きっと。


浅見帆帆子さんの本でもよく書いてあることだけど、

今更ながら、自分史を振り返って、本当にそうゆうもんなんだな~と実感した。





とにもかくにも、このメモ帳の偉大な力に気づいたよ。

空白の時期も多いんだけど、是非頻繁に書くこと。

その時は、書くことに価値を見いだせないかもしれないけど、データになる。


それに、やっぱり書くことで自分や、状況を客観視する。

書くという行為で、自然とそうゆう客観目線に立てるのだ。


モヤモヤを出すだけで、意外とスッキリすることもある。




書こう、もっと書こう。

カッコ悪くたって、情けなくたって、かまわない。




はっきり言って、私のこの20年分のメモ帳だって、

ほとんどが、カッコ悪くて、情けない、グルグル、モヤモヤばかり。

でも、なんとか、かんとかここまで来たのだよ。



だから、信頼して書こう!


あ、このブログももっと更新してあげなくてはね。。。。