↑ ある美女の「わたしだけのオリジナルコサージュ」
(前回 の続きです。)
自分A=主観=役者(主人公)
自分B=客観=プロデューサー
ということでしたが、もっと言えば
自分A=主観=役者(主人公) =自分の本質を表現するメディア(媒体) ←普段意識している自分
自分B=客観=プロデューサー =自分の本質(魂) ←普段無意識の自分
でも、実際のところ
自分Bは、顕在意識化されてないことが多く
困ったことに、自分Bの存在にさえ気付けていない場合がほとんど。(つまり無意識)
私が思うに、いかに自分Bを顕在化(意識)し、自分Aで表現できるかどうがが
“スタイルのある人”になれるかどうかの鍵なのではないか?
通常「これが私」と思っている面は、実は自分の一部の面でしかない。
三次元の世界で、見たり、聞いたり、体験したりすることの積み重ねで、
その記憶の総合で「自分」と認識している部分。
それが、自分A。
自分Aは、記憶の総合。観念、感情、ふるまいの記憶。
自分Aは、外界とコンタクトをとり、反応する。三次元と接触する窓口。
一方、自分Bはホストコンピューター。四次元以上の世界。
三次元的には存在していないが、自分Aを通して三次元で表現可能。
自分Bは魂の本質であり、自分Aを通して三次元を体験することが喜び。
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それは、それでいいんだが・・・
こんな疑問が浮かばないだろうか?
そもそも、なぜ自分AとかBとかに分かれているんだろうか?
初めから、一つだったら簡単でいいのに・・・と。
次回はその謎にせまります。
つづく・・・