『勝間流メンタル片付け収納術』 Aさまから、
同じ悩みを持つみなさんのお役に立てればと、掲載を許可していただけました。
ありがとうございます!
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母親との会話で「してほしくなかった対応」から、
「どうしてほしかったか」を、初めてリアルにイメージできるようになりました。
雨が降ったのに洗濯物を取り込まなかったと怒られ、
次に取り込んだら、
「取り込んだならたためばいいのに」と怒られ、
取り込んでたたんだら、「もっときれいにたたんだら」といやみを言われ・・
これは小学校2年のときのことでしたが、
こういう対応を母からされていたことで、
私は「お手伝い」に関して強烈なマイナスイメージを持つようになり、
不快感でいっぱいになりながら、最低限のことをするのがやっとでした。
本当はわたしだって、お母さんのお手伝いを進んでやって、
「ありがとう、助かったわ」と笑顔で言ってもらえる子どもになりたかった。
でも、「何ひとつもらさず上手くやれないなら、やってもどうせ怒られる」
と感じ、怖くて手がだせなかった。
こんなとき、どうして欲しかったか。
まず、
「今日は夕方雨が降るみたいだから、学校から帰ったら、洗濯物とりこんでくれる?」
とか、
「もし雨が降ったら、洗濯物とりこんでおいて欲しいの」
と、事前に伝えたり、メモ書きしておいてほしかった。
私は自分からはそういうこと気づけない、ぼんやりした子どもだったけど、
そういうところも認めて、親のほうから軽くフォローしてくれてたら、
「あ、こういうときはそうするんだ~」と、普通にやってたと思うんです。
そしてちゃんと取り込めていたら、
やりかたが多少不出来でも、
笑顔で「ありがとう、助かったわ」と言ってほしかった。
そうしたらすごく嬉しくなって、
「わたしがしたことでこんなに喜んでくれるなら、次はたたむのもやってみようかな?」
「お母さんみたいにきれいにたためるようになったら、もっと喜んでくれるかな?」
って、自発的にやれるようになっていったと思うんです。
上記のように、「こうしてほしかった」という具体的な内容について
考え、イメージするのは初めてでしたが、
「笑顔で、子どもに接しみちびく」イメージの中の母親の顔は、
当時の母ではなく、今の私になっていました。
そのとき、
「そっか、自分の子どもに対して、こうしてあげたらいいんだ」
と思えました。
同時に、今の自分に対しても、こういう見方をしてあげたらいいんだ、と
気づきました。
当時の母を内面化して、
「完璧にできなかったら意味なし、私はダメ人間」と、
ずっと自分に厳しく意地悪な見方をし続けていたんですね。
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