たてぴょん家滞在① | mayoの徒然日記

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はじめまして。
mayoです。

2012年9月7日に愛するパパが7年間の闘病の末に天国へ旅立ちました。
さとう式リンパケアに出会い、誰でも楽な身体を手に入れられることを1人でも多くの方にお届けしたいと思い日々精進してます^ - ^



パパ親友、たてぴょん。

ちょいちょい登場しますが、
ご存知ない方にご紹介。

パパの高校野球部、大学サークルも
一緒に過ごしたパパの親友です。

私の中学二、三年生のクラスメイトでもあります。
奥様のりっちゃんとは私が東京に来てからの
お付き合いですが、今じゃ親戚以上の
お付き合いをさせてもらっています。

パパと私、たてぴょんとりっちゃん。
子供が誕生する前から四人でよく
両家に泊まり合って遊んでました。


パパが2005年に最初に胃がん告知を受け、
私は娘っこを産んで退院したばかりだったので、
実家の母が戻らねばならない頃に
パパのお見舞いに行ってる間
娘っこの面倒を見るために
りっちゃんと当時まだ二歳だった
長男ユーマくんが
我が家に来てくれました。

二週間くらいだったかなぁ。
ユーマくんと娘っこはその頃からの
付き合いだから、ほんとに兄妹みたい。


パパの身体のことをいつも心配してくれて
その二年後にたてぴょんが上海に転勤になり
パパの様子を日々知らせて、
元気だよ、と発信できるように
私はアメブロをはじめたのでした。


その後、上海から戻って、
福島⇒福岡へ転勤に。

福島にいる間にも何度も行き来して
福岡への転勤の時は
パパ、さみしそうだったなぁ。

パパが亡くなった日、
たてぴょんは東京出張で
会議を抜け出して病院に来てくれ
短い会話ができました。
あの時はミラクルなタイミングだった
と今でも思い返します。


転勤族のたてぴょんは
いつかまた転勤になるだろう。
その時は故郷福岡に家族を置いて
単身赴任するのかな?
と思っていました。

そしたら。


衝撃のたてぴょんの転職[みんな:01]


地場企業の会社に思い切りよく
転職したんです。


しかも、そこは私の叔父の会社で。
兄もそこにいるわけで。
パパが繋いでくれたご縁かな、と思います。
叔父、叔母も パパさんが呼んでくれたんだろうね
と言ってくれて嬉しかったです。[みんな:03]


転職を機に家をD市に移し、
そこはパパのお墓に近くて。
そしてたてぴょんと私の同級生もたくさん
住んでいる土地で。
なんだか私の帰る場所を一つ増やしてくれたような
そんな気がしています。


実家にもパパ実家にも
たてぴょん宅にも
同じように気兼ねなく帰省の時は
泊まらせてもらってます。(笑)


面と向かって感謝の気持ちを
つらつらと述べたら恥ずかしいけど、
たてぴょん家族に心から感謝してます。


いつも、ありがとう~[みんな:02]



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