救急外来で、レントゲンを撮り、
血液検査などの結果から、
パパの容体はかなり危険な状態で、
あとで聞いたら、運ばれた当日に
亡くならずによく頑張ったね、と
主治医に言われるほどだったそうです。
個室に入り、痛みはなかなかひかず、
寝返りも打てないので、何度も体の位置を変え
二人の看護師さんが手伝ってくれたので
病院に来てよかったかも、と思いました。
顔馴染みの看護師さんが
クッションをたくさん持ってきてくれ
色々と気遣ってくれました。
体の位置が少し安定して、
顔が苦痛からちょっと和らいだ感じになり
パウチの中身を捨ててもらいました。
「今晩から一緒に付き添うことにしたよ、夜は一人じゃないからね」
とパパに伝えたら、
「立たせて。帰るから。
うちに帰る。」
「今日は、ここにお泊まりだよ。
ママと一緒だから、大丈夫。」
モルヒネのせいか
少し意識が朦朧としていたようです。
しばらく、寝返りの手伝いしたり、
足をマッサージしたり。
心なしか足のむくみが引いてきていました。
お通じもあるし、むくみがとれてきたんだ。
かすかな希望が見えたように思えました。
パパが少し話ができるようになったので、
「manaに会いたい?
連れてこようか?」
と言うと、苦しそうに
「うん。」と言いました。
タクシーで家に戻り、
娘っこを連れて、姉には義兄が仕事から戻ったら
娘っこを迎えにきてもらうよう頼みました。
この時、6時半くらい。
病院にタクシーで戻り、
パパのとこに行ったら、
娘っこはパパの側に行き、手を握りました。
「パパ、manaだよ。
mana、パパの手を握ってようね。」
パパは頭をうなだれていましたが、
「manaちゃん。
来てくれてありがと。」
と苦しそうに言いました。
でも、会話はそれ以上できない状態で
manaもどうしていいかわからない顔をしていました。
それでも、パパに笑いかけたり、
私にニコッとしてくれたり
和ませようとしてくれていたのが
わかりました。
病院に来て20分くらいして
義姉夫婦が、来てくれました。
パパを見て、
「⚪⚪⚪、頑張りなさいよ。」
と言って気丈に励ましてくれ
娘っこを連れて帰ってくれました。
その夜は義姉夫婦も我が家に泊まって
義両親が来たら、みんなで娘っこといてくれることになりました。
主治医の先生から呼ばれ、
話がありました。
「もうね、かなり悪いとこまできてる。
自宅で最期まで、と言っていたから、
なるべく自然に痛がらないように
看てあげたいと思うけど。
それでいいかな?
じゃあね、ご両親に明日の朝10時くらいに
来てもらって、話を僕からするから。
今のままだと、痛みが激しくて
⚪⚪くんもかなり辛いと思う。
鎮静をかけてあげたいけど、
腎機能が悪いとすぐに呼吸が止まることもあるし、
もう会話ができなくなる。
この話をご両親に説明して、
ご理解頂けるなら、鎮静をかける、
ということにしよう。
ご両親も会話したいだろうしね。」
私は信じたくない気持ちが半分、
でも、現実はこうなんだ、と聞いていました。
「もうすぐ義両親は我が家に着きますが
今夜中に会わなくても大丈夫でしょうか。」
「うん、救急に来たときよりは
少し落ち着いたから、明日の朝で大丈夫だと思うよ。」
「わかりました。
よろしくお願いします。」
先生は私の肩をぽんぽんとして
しっかりな、と言ってくれてるようでした。
その日の夜は、看護師さんが
こまめに来てくれて、お世話をしてくれたので
私は簡易ベッドでも眠ることができました。
時折、パパの様子を確認したり、
痛がったら痛み止めの薬を早めてもらうよう
(モルヒネを常時入れていましたが、
痛みが強いときは、早送りボタンを押して
多めに入れてくれることになっていました)
お願いしたり。
唇を水でしめらせたガーゼで拭いたり
して過ごしました。
個室なので、電気つけたままでもよい、
というのが助かりました。
暗闇がこわいパパのために、明明とした部屋で
一晩を過ごしました。
パパと私は、その辺りでは、久々に
2時間くらい続けて眠れたかもしれません。
二人とも眠りに飢えていたのかな。
ちょっとの休養をとらせてもらいました。
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