あの日のこと 9/5(水) その① | mayoの徒然日記

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はじめまして。
mayoです。

2012年9月7日に愛するパパが7年間の闘病の末に天国へ旅立ちました。
さとう式リンパケアに出会い、誰でも楽な身体を手に入れられることを1人でも多くの方にお届けしたいと思い日々精進してます^ - ^


朝の6時にはやっと眠れたと思ったパパでしたが

娘っこが学校へ行く時間になると、起きて

やはり寝ていられない様子でした。


娘っこは心配していたのでしょうが、

パパにいってきますってホッペにチュウをして

元気に学校へ行きました。


私もパパもあまり寝ていないので、

午前中はパパのベッドの隣に布団を敷いて

私も仮眠をとったり、ごろごろしつつ

パパの呼びかけに答えて動いていました。


この日から、パパの左手が思うように動かなくなり

メールも打てなくなりました。


「メール、打てなくなっちゃった。

ママ、代わりにお願いするやつ返信して。」

と言われました。


「うん、わかった。今朝も部長さんから来てるね。」


パパの直属の上司の部長さんは、三日に一回くらいの頻度で

メールをくれて、激励してくださいました。

ほんとに有難いことです。


この日、三時過ぎに娘っこの個人面談で、

その後に訪問看護の方が点滴と座薬を持ってきて

くださいました。


この頃のオプソ(痛み止め)の記録を見ると、

5日は9包に座薬1。

眠れるように眠剤を一錠。


痛みは常にある状態でしたので、

看護師さんに座薬を入れてもらうと、

かなり痛がっていました。


「少しでも眠れるように、眠剤飲んで見てはどうですか?」

と言われ、うーんと渋っていたパパでした。


利尿剤を点滴で入れてもらい、帰られる時に玄関で

小声で言われました。


「肛門の周りも硬くなっていて、座薬が奥に入りづらいので

ご病気が広がってているようです。

痛がる場合は、無理に入れないでもいいので、

第一関節までと思わないでくださいね。


眠剤は、腎臓が弱っていると、呼吸が止まることが

ありえますから、そのときは、看護ステーションに

連絡くださいね。」



そう言われて、今日は寝ないで様子見ないと、

いやいや、ちょっとは寝ないと私が体調壊せないから、

と自分の中でぐるぐる考えていました。



この日から、パパは一人で歩くことも

一人でトイレへ行くこともできなくなりました。

利尿剤を入れていてもおしっこはでませんでした。

でも、二日間便秘してたのに

パウチには便が出始めていました。


よかった、ちゃんとストマちゃんは働いてくれてる、

悲しい現実の中でも少しの希望をみつけて

私はパパによかったね、と声かけしてました。



もう、食事はとれないから、ビオフリーだけの点滴。

高カロリー点滴は5・6時間点滴に繋がれるので、

その時のパパにはとても耐えられなかったようです。

それに、一リットルの点滴をしても、尿が出ないので

余計にむくむかも、という気持ちもありました。



娘っこが寝てからパパはますます辛い状況になりました。




思い出すのも辛いんですけど、、、

つづきます。