今回はちょっと長くなりそうです。
最近は、あまり深刻な内容は避けてきました。
考え込むと、抜け出せなくなりそうで。
パパのシスプラチン5クール目は、1月10日でした。
年末、年始とちょっと長めの休薬期間があったので
今回は楽かな、と思っていたのですが、
やはり辛さはいつも通りやってきました。
それでも、8日後には頑張って出勤していました。
1月20日、この日は娘っこの小学校入学前の
説明会でした。
パパに、こんな物を用意しなきゃいけない、
こんなことを言われたよ、と話していたら
「治療の後の検査結果次第では
休職しなきゃいけないかもしれないし、
福岡帰ることもあるから。
心構えしておいて。」
と言われました
実は、アメンバー限定記事では書いたのですが、
ちょっと前にこのことは言われてました。
「今は、治療を優先させてもらっているけど、
会社側もいつまでも特別待遇はしてくれないだろう。
もし、シスプラチンが6クールで終わらないで
もうちょっと継続って言われたら・・・
休職しなければいけなくなるかもしれない。
そうしたら、生活できなくなるから、
福岡に帰って実家に住まわせてもらおうかな。。。」と。
私は、ただ笑って、
「その時に考えればいいよー」
と内心うろたえつつ、答えました。
薬のせいで気分の上がり下がりはあるし、
ちょっと弱気になってるんだろう。
そう思いたい私がいました。
でも、やっぱり真剣に考えてたんだ。
娘っこがもうすぐ入学式だね、
楽しみだね、って言いながらも
娘っこは何て言うか、きっと嫌がって泣くんだろう
とか考えていたんでしょう。
それを思うと胸が痛くなりました。
でも、私にもいろんな思いがあります。
黙ってきたけど、正直に言いました。
「治療が今、いい方へ向かってるんだし、
体に負担のない治療に変わるかもしれない。
また来月になって先生と相談して決めよう。
もし、休職することになっても・・・。
実家の近くに小さなアパート借りて
三人で暮らしたい。
三人がいい。」
同居はいやだ、とはもちろん言えません
もし、休職したとしても、復職できるのかどうかも
補償はないし、今の場所にいられるなら、
甘えさせてもらうべきだと思う。
でも、これは言いませんでした。
「うん、そうだね。
manaちゃん、泣くよね・・・」とパパ。
「そりゃー泣くよ!!
前に引っ越すかも、ってときも大泣きしたじゃない。
お友達もたくさんいるしさ・・・。
ほんとはさ、私もまだ東京にいたい。
まだ、帰りたくないな。。。」
以前、スピリチュアルカウンセリングを受けた時に
故郷に帰ることは、パパの志気を弱めることになる。
死期を早めることにもなりかねない。
と言われていました。
私は、パパの希望であっても、
今は、福岡に帰るわけにはいかない。
もちろん、帰れば親も友人もいますから、
心強いことこの上ありません。
でも、だからこそ、精神的にガクンときそうで
仕事という自分の軸を一時的にせよ、なくしたら
パパはどうなっちゃうんだろう。
私のわがままでもいい。
娘っこのため、という大義名分を振りかざしてでも
東京に残りたい。
今は、そう思っています。
私のそんな心を知ってか知らずか
「じゃあさ、もしも休職するとしたら・・・。
ママが働く?」
(え?あ、その手があったかーーー!!)
「うん、うん、働く、働く。
(生活できるかどうかは別として)」
「そうゆうこともできるかな・・・」
パパは、ちょっと厳しい顔をしていたのが
少し緩んだように見えました。
私は、まだ希望を持っています。
会社には今でも最大限の恩恵を頂いてますが
すぐに繋がってる綱を離されたりしないって。
もう少し、治療が安定するまで
お願いですから待って欲しい。
パパの治療は、いい結果を出して
副作用が苦しい治療から抜け出せますように。
悪いものがなくなって、元気に生活できますように。
カンプト点滴を昨日、受けて
今日は辛そうにしていました。
ここ最近は比較的能天気な内容でしたが
私もちょっと落ち込んでしまいます。
娘っこに「ママ、笑って!」と言われ
はっとした今日のmayoでした。
支離滅裂な文章になってしまったかもしれません。
今、前が見えなくて不安でいっぱいです。
それでも、信じています。
明るい未来が待っている。
って。